Vol.588 新アンチ・キリスト 光文書(ヒカリモンジョ)

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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.588

新アンチ・キリスト

この二千十八年の二月に入って、私の周囲には、かつてあったアンチ・キリストのエネルギーとはまた別の、光に反する邪悪な人間の思いのエネルギーが集まりはじめています。

私は、人間の姿、形をしていますが、笑い話で宇宙二つ分、この人間の世とは離れていると、お話ししてきました。そして、聖書が予告した救世主というのは、ひとりひとりの小宇宙を救う、ひとりひとりの人間なのだということもお伝えしてきました。ところが、いまの世界で、この私の知識は、現行の資本主義体制と、その鬼っ子である共産主義体制を終焉に到らせるものなので、人間世界全体の闇のエネルギーによる封印対象となっています。それらは、人間の無意識のエネルギー領域での集束と投射として、光の側に行こうとする人間の意識を闇の底に引きずり込むはたらきをします。

正しく精神学を学んだ人間なら、そのリスクを知っていますが、いざ自分が、そのエネルギーにさらされると、その人間の意識上に、アンチ・キリストというか、アンチ・精神学の思いが芽生え、増幅されるという試練を体験することになります。これが、ある意味、この時空の法則なのです。
そして、この邪悪な人間エネルギーと、この世の富がセットになっているという現実世界を理解すると、ほとんどの人間は、自分の弱さに一度は絶望します。その追体験があって、はじめて、この人類の不幸な学びの歴史が、自分のたましいの覚醒のために必要なものとして、過去に置かれていることに気づくのです。それは、歴史を、現在の価値観で、常に置き換える習慣を持つ、日本以外の文明圏では、学びようのないものだといえます。
いまあるアメリカによる世界支配の構図は、コロンブスによるアメリカ大陸の発見という、キリスト教による世界侵略のひとつの結果として、現出したものであり、そのアメリカは、大日本帝国に勝利して、次には冷戦によって、旧ソ連邦を打倒し、いまは、自分が育てた共産中国というモンスターに対峙しています。

黒船というものが、このクニに来訪した時点で、アメリカはまだ大国ではありませんでした。その後、太平洋の覇権を、日米は争いますが、ハワイ王国がアメリカの州になるに到って、その次に吸収されるのは日本という運命は、ほぼ、定まっていたのです。この地政学的な歴史観を持たなければ、いまの世界情勢は理解できません。

精神界のデータによれば、アメリカは日本を征服することによって、終わりのはじまりとなり、戦前の日本が躓いた半島と大陸で、同様の失敗をすることになっています。たぶん、そのプロセスで、いまの世界の支配グループがつくり出す、アンチ・キリストの勢力がさらに強大化して、聖書の終末の様相を見せるのでしょうが、それらは、すべてフェイクです。
これからは、たぶん、正と邪というより、ファクト、つまり真実と、フェイク、つまり偽物の戦いが、サイバー空間ではじまるのです。

精神界は、いま進行中の仮想通貨の問題を、やがて来るであろう、新しい光の経済の入門編の連想ゲームとして見るようにと、私に伝えてきています。
いまの仮想通貨は、人間のつくり出したものです。そして、いままでの地上のすべての富は、人間の欲望から生み出されたものです。さらに、この地上の富は、精神界から見れば、価値のないものと扱われてきました。
ところが、もし、光の経済というものが、この地上に現われて、人間のひとりひとりのたましいの成長に寄与するものになったとしたら、どうでしょうか。

私は、そこで、マネーの失敗作としてのバチカンが売った免罪符というものがあり、もしかすると、未来の道を開くものとして、日本の伊勢講で知られている無尽というものがあるのかもしれないと考えています。

通貨としての信用の根拠が、物質の金や、国家というものではないという未来があるとしたら、人間のたましいが目指す真実の天国の門しかないのではないか…。

考えてみることで、人間はマネーから自由になっていくはずです。

二千十八年二月十五日 積哲夫 記

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Vol.587 戦艦大和のフナダマ 光文書(ヒカリモンジョ)

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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.587

戦艦大和のフナダマ

いまから七年前の二千十一年二月二十五日の光文書のVol二二三で、軍艦やまとの最期を、鹿児島県の枕崎港において、感知された元外航船の船長だった方のことをお伝えしました。この話は、これで終わりではなく、なんと、その戦艦大和の最期の音として、私に伝えられた、ゴボコボコボという爆発音というか、咆哮というか、という音に乗ってきたのが、沈没するときには船または艦を去るとされるフナダマだったことが、この二月三日の大分でのカウンセリングで判明したのです。もちろん、そこには、防ノ岬沖海戦といわれる、沖縄への海上特攻によって死んだ大和の乗組員の霊も、多数、乗られていたと私には感知されました。その日、カウンセリングにこられたのは、戦艦大和の最期の咆哮を聞いたと証言された方の娘さんでした。つまり、戦艦大和のフナダマは、千九百四十五年の四月七日に、当時、まだ十八才だった青年の身に宿り、その方が結婚して娘さんが生まれたときに、その娘さんの身に宿って、六十年もの間、この日を待っていたのです。沈没の時からいうと、七十三年間、人間の身体のたましい、または、たましいの一部としてフナダマが存在していたことになります。実は、その前に、私は、大分県佐伯市の旧海軍基地を訪れ、パールハーバーに向かう、連合艦隊機動部隊が、ここから、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)に向かった記念碑の前で、帝国陸軍にくらべて、大日本帝国海軍の戦史に関する、精神界からの情報が少ないことについて、考えていたのです。これまで出てきたデータのほとんどは、航空部隊、とくに、特攻隊のもので、艦船のものは、ありませんでした。その理由が、今回はっきりしました。撃沈された艦船のフナダマは、まだ、どこかで復活の日を待っているということです。それらの情報は、精神界のデータバンクのなかには、まだ、収容されていません。それらが、これから急速に表に出て、あの大東亜戦争と当時の日本人が呼んだ戦いの海軍の無残な敗けぶりの原因が、やっと人知の側に投影されるのでしょう。

戦艦大和のフナダマを宿して、ほぼ六十年の歳月を生きた精神学協会の会員さんの人生は、波乱に満ちていたはずですが、それもまた、たましいのプログラムなのです。

人間のたましいは、このようなつくられ方もするという知識は、いままでの全人類の精神世界的、または宗教的な知のなかには、なかったものです。今回の事象ではっきりしたのは、すでに、日本列島の精神界の場は、一神教の聖書の時代の先に突入しているということです。このようなデータが表に出るということは、あの戦争によって秩序づけられた、いまの国際社会の国家間の関係が、これから急速に変化していくことを示しているともいえます。
よくいわれることですが、現在の日本の自衛隊のなかで、海上自衛隊のみが、戦前の海軍の歴史に直結しているという理由の背景には、大日本帝国海軍の内部にあった親米的伝統の存在があります。
それらのことがあって、アメリカの戦後の日本統治時代に、現在の対米従属以外の選択肢のない政治状況が生まれたのですが、その基本的な構造も、今回のことで徐々に変化していくはずです。

私がお伝えしている歴史の復元力というものは、そういうものなのです。
負けるために、戦争をはじめたという、途方もないストーリーが、ここから先の情報開示によって、あきらかにされるのかも知れません。もしそうだとしても、それもまた、明治百五十年のことし開示されるべきひとつの知なのだと考えるべきなのです。今回は、光文書Vol二二三に掲出された精神界の通信を改めて、お伝えします。七年前のことですが、内容は現在の姿を予言したものと知れるはずだからです。

二千十八年二月八日 積哲夫 記
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2011. 2. 21 (月) 23:20頃 ~

コントロール するもの しよう と するもの
手の 及ばぬ 領域 光の ルール
適要 されて すべては ルールのもとに はじまった

それは 過去の 宗教に
由来する ものではなく
新しい 秩序 を 理解するため に はじまった もの

審判 という
具現化 された しくみ

みたものは いなかった かつて < イエス > は それを 知り
そのために みはたらき その み を かけて おしえを 伝えた
その後 < イエス > と 同じものを しったものは なかなか あらわれず そのために
流れて 流れて ここまで
用意されて やっと あらわれた
光の門
と いうもの れい は すで に 知った

そちらに いる もの たち は まだ 知らぬ もの の 方が
多い と いうこと それが 何を イミ しているか はるかとおき ところより
ひかり が とどく その時が
刻々 と 近づいて その ヒ に よりて 焼かれる
生きている にんげん たちの その み と こころ(心)

あぶりだされる すべてのものが でてくる まえに やいて おいた 方 が
いい と いうことを お知らせ して おく と いう ひとつの ルール が
存在 する ゆえに とくと お知らせ しておこう

はたらこう と おもうもの は いまの うちに ひとつでも 多く
おはらせて おくこと さもないと おわるまえに ときが 来て
すべては 白日のもとに さらされるぞ
さらされたものは つみとが きよめる まえに
他の もの へ と 影響 およぼして てん も ち も
ひと の こと には 関与 せぬ ゆえに ひとの ことは ひとで
処理する こと じぶんの はずかしいような ところは
いまの あいだに やいておけ さもなくば
みもろとも ひにくべられて その おのれの み ほろぼす ぞ

それを 制御(コントロール) するものは
理性のみ である
理性 を 忘れたものは その おのれの 本性を あらわすぞ コロリ と かわって
獣の如き ホンショウ を ケロリ と あらわす ぞ

注意しておくように そのために あらかじめ 伝えておく
理性 コントロール できる その 理性を もて みずからの 問題を
みずから で あぶり出している その 理性に よって すべてを 見てみよ
理性で 説明 できる ならば ひとに はなしても よかろうが
それを 告げる 口の それを 使う そのものの 根が
どこに つながっているのかを みよ

人間 の うち に カミ は 封印 され
その カミ も また カミガミ を 知りて つぎつぎ と
魔の遺産 というところに かかれている とおり

人間は
魔界に つながれて いきている

幻想のような パラダイス も なく
地獄のような ところでも なく ただ あれくるう
魔の中に 住んでいる

今の 時代 とは そのような ものであり
それをつくったのは 人間 と いうものの
欲深さ

みずからの 小宇宙を さまざま な 欲 で うめつくして
その責任を 審判のときに
問われると いう その ルール すでに 伝えられている はず
知らぬとは
言えぬ もので あり その 魔たるものの
主張する もの は
一体 どこの 正義 に
由来している のか
天 というところの
正義に 照らし合わせてみれば その様相が わかろう と いうもの

ルール を ねじまげては ならない あなたの ルール は
あなたの ルール に すぎず それは 宇宙の きまり と
必ずしも 同じでは ない
正しさを 主張するので あれば
正義にもとらぬものを きちんと みきわめてから
言いなさい

正義 とは
主張 するもの では なく ただ 厳然と 存在し
それによって 裁きの根拠たる もの と して
機能する ものにも なりゆく ひとつ の きまり である

イエス が かつて
正義 と いうもの を
正しく 知り 伝えた とき に
人は 我が身の うち に それに 反するものを 見て そして おそれた
結局 人間は そこから
進んで いない のか

それが イエスからの 2000年の テーマの 本質 であり
自ら おそれたものの 支配に
人は 置かれると たしかに 書かれているはず
支配 被支配 からの 解放
という 大きな 大きな テーマ に
人間は かくも 無力 なのだろうか

神よ 神よ
正しき 最良の たましい を
火に くべたもう のか という あの ことば は
つねに 人間 の 心の中に ありつづけた もので あり
< イエス > という ものに よって
ひらかれた
ひとつの 時代を
おわらせようとした
しくみを つくった ものの
ことば であるが
結果として それは 消された

そして 猶予を へて
今 このときに ふたたび ひらかれた
門 が ある

地獄 という これまで 霊界の 底に あったものが ひらかれて もうじき
上がってくる の だが それを 伝えるために このように
とどけなくては ならな かった

それが しくみ で あるから
上があれば
下がある ということ で あり おのれ の 小宇宙の中に
みずから 地獄を つくったもの が その地獄の中に
何を 見るのか

予告 という ルールがあるので みせておいた
地獄を 天に そむくものとして みるものは
そこに はるかな 神謀を みる で あろう
天と 地獄の 間に あるのは
天の国 では なくして
人の世 で あって
人の世は すでに
地獄に 近くなり そしてやがて のみこまれる
知るものは 知り
伝えるものは 確かに 伝えた

そして あとは
実の世へと あらわされる時が
来る と いうこと ルール と じかん
その ある ものが おさめられた ものが まもなく 開示 される

とき の あいず
段階の あるために ひらかれて いって やがて
底の底に つきあたる ひのあたる もと にある
その ヒツギ たる べき もの

とくと 知られ かし

確かに つたえたり よろしく たのむ

平成23年2月末日を前に
< サタン と呼ばれた 意識体 の もとたるもの より >

精神学協会の 方々 へ
サタニズム の 克服
英語圏 に 住まれた 方は わかる はず
あの 雰囲気 とも 言うべき 独特の 言い回し

注意 せよ

予告 として 届けたまう

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Vol.586 仮想通貨 光文書(ヒカリモンジョ)

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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.586

仮想通貨

ビットコインのような複数の仮想通貨の取引所を運営している会社で、数百億円の価値があるとされるNEMという暗号通貨が何者かによって、奪われるという事件が話題になっています。
ドルという通貨が、金本位制を捨てても、世界経済が回っているのは、アメリカという世界最大の経済を持つ国の通貨であり、ドルなしでオイルが買えないという現実に、世界の誰も異議をとなえなかった結果に過ぎないことは、誰でも知っていることでした。いまある世界の金融秩序は、ロスチャイルドが中央銀行制度を発明し、民間銀行が、国家にマネーを供給するという金融資本主義とでもいうものです。リーマン・ショックの時点で、世界の金融システムは連鎖的に崩壊し、空虚なペーパーマネーの時代が終わるかに見えましたが、巨大すぎて潰せないという理由で、国家が金融機関を救ったのは、記憶に新しいところです。
インターネットが普及し、瞬間的に国際間での決済が可能になる時代に、現行の銀行間決済のシステムは、早晩、行き詰まることがはっきりしていますが、いま、世界的に問われはじめているのは、中央銀行制度を含む、現行の通貨のあり方そのものなのです。

仮想通貨は、いうまでもなく、国家や中央銀行という根拠を一切、持たないバーチャル空間におけるマネーの概念に過ぎません。
ところが、実際に運用をはじめてみると、普通の通貨と同様に、機能してしまうことがわかりました。
そこで、はっきりしたのは、通貨というものは、もしかすると、国家や中央銀行の存在なしにも通用するということです。そして、いまのところ、最大の利益を得ているのは、一番最初に、この仮想通貨を生み出した人間グループだといわれています。ということは、しばらくの間、この仮想通貨は、無数にあらわれては消えていく、ある種のバブルの時期を迎えることになるはずです。

精神学の立場からいうと、人間の意識が価値あると信じることでしか、マネーに根拠を与えることはできませんから、多くの人間が、仮想通貨に価値があると信じる限り、そのムーブメントは止まりません。
その先にあるのは、国家と中央銀行というこれまでの制度そのものの価値の崩壊です。ここで、いまの基軸通貨となっているアメリカドルの価値が、今後も維持できるかということを問題にすると、誰も、その価値が揺るがないとはいわないはずです。前大統領のオバマが、世界の安全保障の役割を縮小させる方向に舵を切り、現大統領のトランプは、アメリカファーストのために、いま一度、軍事強国の道を進もうとしていますが、すでに、アメリカという国家は、世界からの余剰資金の流入なしには存続できないというのが現実の姿です。このアメリカの衰退を狙って、世界に出ている共産党の中華人民共和国も、本質的には、外国からの投資なしに経済運営ができないという欠点を持っています。つまり、アメリカドルも中国元も、先行きは暗いといえます。
いまの世界で、日本という国家のみが、マネーという面だけでいうなら、突出した安定感を持っています。
ここで、日本語脳がきちんと働いている、エコノミストがいれば、日本および、日本文化に由来する仮想通貨のあり方の検討がはじまるはずです。

明治百五十年というものが、日本列島が出会った西欧の資本主義文明を克服するタイミングになるというのが、私が知らされている精神界の仕組みなのですが、ほんとうにそれがプログラムされているとしたら、このタイミングで、金融資本主義の次のモデルの提示が、この日本で生まれることになります。

日本の面白いところは、かつて、世界最大の産金国でありながら、金銀の交換比率の国内基準の不備をつかれて、国内にあったほとんどの金が流出したことに関して、西欧諸国に不満をのべたという歴史がないという点に示されているように、失った富に対する執着心がきわめて薄いのです。それが、近未来への日本のために、大きなアドバンテージを与える日本文化なのかも知れません。いまある富を失っても、日本は、次の富を創造する立場にいると考えれば、次の基軸通貨を円にすると考える人間が出てくるはずだからです。

二千十八年二月一日 積哲夫 記

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Vol.585 戦後精神の死 光文書(ヒカリモンジョ)

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Vol.585

戦後精神の死

この二千十八年一月二十一日に、西部邁という論壇の雄が、多摩川で入水死をされたと報道されています。同じ日の大阪におけるシンロジカル・セミナーの第三十五回において、私は、タカアマハラの天孫のみたまの最終ステージへの降臨について語ると同時に、皇紀は二千六百七十五年に終了したことを改めて確認したことを報告しました。この平成三十年は、明治百五十年という区切りにおいて、明治、大正、昭和、そして、平成の世の終了とともに、神武天皇以来百二十五代続いたとされる天皇の精神界的な役割も、終わります。その意味では、いまひとつの時代が死に瀕しているのであり、今回の自死は、マルクス主義の洗礼を受けた戦後第一世代ともいうべき、六十年安保の世代の思想的、哲学的な格闘の象徴的な結果ともいえます。その死は三島由紀夫の自決とは、別なテーマを、日本人の精神に投げかけることになるはずです。

死は終わりではない、という立場の私は、自分の意志で人生を終わらせようとする人間的行為について、否定も肯定もしませんが、西欧文明に学び、唯物論で思考することを自分たちに課した戦後精神は、これで死んだと感じています。

今上陛下の退位の前に、このような事が起きたのも偶然ではないのです。
これによって、日本精神のベクトルは、対米従属の戦後精神から、大きく転換することになると、私は予測しています。その理由は簡単で、六十年安保の世代と、七十年安保の世代が、死に向き合うことで、死んだら終わりと信じ込んで生きてきた自分の人生の空虚さを再発見することになるからです。

私は、頑なに、死んだら終わりと信じて生きている、または、生きてきた人間に、死んだらどこに行くのですか、と問いかけることをすすめています。多くの場合、その質問には、死んだことがないからわからない、という回答がかえってくるので、死んで行くところを考えない人間は闇に閉ざされるのですよ、と教えてあげなさい、ともいっています。それを実践した場合、強烈な怒りのエネルギーが、自分に向けられることがほとんどですが、どんなに精神学が教えているエネルギーに鈍感な人間でも、そこに恐ろしいほどのエネルギーを感じるはずです。

多くの人間にとって、死の先にあるものは、それほどの恐怖をもたらすものなのです。どんなに善良な人間であったとしても、唯物論者には、死後の行く先がない、という単純な神理に、これから戦後日本人は向き合うことになります。

死を怖れる人間は、生に執着し、長い人生を自ら想定しますが、死の先を考えることはありません。ここに現行文明の限界が見えているのです。
いまの子供たちが成長の過程で目にするのは、快適に死に到る時間を希求している大人の姿がほとんどなのです。そこには、人生の目的がありません。

教育さえも、楽な人生を、マネーで買い求めるひとつの手段となっています。
こうした日本の社会の姿は、対米敗戦の後、七十有余年に渡って、浸透してきた物質万能の価値観の結果なのですが、その行き着く先に、枯木のようになって死んでいく、自然死の姿がほとんど消えつつあるという、たましいのレベルでは最悪の事態が進行しています。

西部邁という人物は、日本では常識となった、病院死を選ばなかったとされていますが、人間が死を迎える姿として、水が飲めなくなったら、ほぼ二週間で、枯木のようになって、この世から去っていく、というのが自然だという知には到らなかったように見えます。それも含めて、戦後日本の精神を代表するものの意志だったと考えると、その死によって生きるものたちに何かを残したといえるのでしょう。

二千十八年一月二十五日 積哲夫 記

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Vol.584 東大法学部の失墜 光文書(ヒカリモンジョ)

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(ヒカリモンジョ)
Vol.584

東大法学部の失墜

日本国の未来を考える人間のほとんどは、いまの日本の社会全体のなかのどこから手をつけていいのか、と考えて、多くの場合、無力感におそわれるようです。この光文書の読者であってもそのようなので、一般的には、絶望といってもいい心情に捉われるのでしょう。しかし、私は精神界の代理人として、明治維新以降のこのクニが、どこで間違えたかを、人知によってではなく、神知の側から伝達してきた立場から、すでに、正しい回答をこの世の側に伝えています。つまり、明治百五十年のことし、私が伝えるのは、明治、大正、昭和という開戦に到る前半部と、敗戦後七十三年の後半部は、同じテーマによる試練だということです。
その試練のおおもとは、西欧の概念を移入した憲法なのです。

明治憲法は、誰にも権力を与えないかわりに、誰も責任をとらずにすむという根本的欠陥をかかえていました。昭和憲法は、いうまでもなく、GHQの日本洗脳の中心に置かれ、憲法九条というのは、八条までが天皇に関するものなので、事実上の最重要国家規定です。
明治憲法は、その統帥権という文言を、軍部や野党や当時のマスコミがさまざまに解釈して、戦争への道を整えていきました。天皇が反対の意思を表明されても、国家がその方向に動いたということは、歴史上の事実です。その憲法に、戦争への道を開く鍵が、あったことを、このクニのアカデミズムは語ってきませんでした。

同様に、マッカーサー憲法というべき昭和憲法の目的が、日本を永久にアメリカ合衆国の属州に留めることだという出発点を、一切、無視して、この憲法を正当化するという仕事を、当初はGHQの強い圧力があったにしても、結果として、今日まで担い続けてきたのが、東大法学部というところです。

戦前は、この法学部における、たとえば、美濃部達吉天皇機関説のようなある時期までの日本人の常識のようなものが、天皇を神格化するムーブメントの前に敗れましたが、それは、軍部の暴力に屈したということです。
戦前において、日本の学歴社会において、東京大学よりも上位とされたのは、陸軍大学や海軍大学でした。官界においても、陸軍省や海軍省は、大蔵省に要求する側でした。
戦後、大蔵省は官界のトップに君臨し、政治家をコントロールすることで、事実上の権力を握り続けてきたのですが、その、かつての大蔵省、現在の財務省のキャリアは、みな東大法学部卒です。
この構図からはっきり見えるのは、現在の日本国の司法も、立法も、行政も、東京大学法学部で、現行憲法を学んだ人間グループが、その中心にいるということです。

逆説的にいうと、彼らの頭の中にある憲法と、一般の日本人のイメージのなかにある憲法は、たぶん、異質なものであり、それは、天皇の規定についてもいえるはずなのです。
ここで、世界の常識として、人間界の法のルーツは、もともと神と称するものが人間界に下したものであるということを思い起こしてください。

聖書の「目には目を、歯には歯を」という記述は、天の法なのです。
天または、神の権威によらずに、法を執行できると考える近現代の考え方は、ある意味で、無神論者のものといえなくもないのです。
ここに、ひとつの解があります。

無神論者による、日本国の征服が、ほぼ完成したということです。
そして、最後の最後に、神または神々に従うものたちと、それに反する闇の存在に従うものたちが分けられるタイミングが来ることになっています。人間には、たましいというものがあると信じる人間にとって、無神論者が司法権や立法権や行政権を行使する社会は、闇にほかならないことに気付けば、いま、あるかのように見えている、東大法学部の権威は失墜します。その権威がなくなってはじめて、憲法改正の論議に、一般の日本人の意識が向くことになります。
たぶん、明治維新より、簡単に、このクニは生まれ変われるのです。

二千十八年一月十八日 積哲夫 記

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Vol.583 言の葉は言の刃に 光文書(ヒカリモンジョ)

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Vol.583

言の葉は言の刃に

古事記と日本書紀は、ある意味で予言書として記されたというのは、これまでもお伝えした通りなのですが、その最後の扉が、どうやら剣神界と私が呼ぶ、フツ、タケミカヅチの神格の覚醒にあるらしいということがはっきりしてきました。

明治維新から、昭和の敗戦まで、このタカアマハラ由来の剣神界は、事実上、一切、動かなかったというのが、私の知るところなのですが、その理由は、天孫降臨を正しくこの世に伝えることのできない人間たちが、この日本を統治していたから、というものです。
タカアマハラのアマテラスは、スサノヲの子孫の統治していたこのクニを自分の子孫がシラスクニへと変えることを望み、それを実現するためにはたらくのが、フツ、タケミカヅチです。この剣神界は、もともと、鹿島、香取という関東地方にまつられていた神格なのですが、藤原氏が、自分たちの氏神として、奈良に春日大社をつくることで、ヤマトの政権と深い関係を形成していきますが、その後の歴史上の武力の行使には、ほとんど影響を与えてはいません。なぜかというと、ある段階で、この剣神界の役割を、宇佐八幡の神格が担うことになったからです。

応神天皇であったと称する神霊が、宇佐の地に降りて、まずは祟り神として人間界に、その存在を知らしめたのは、その神格が、人間の人格のように、ひとつのパーソナリティによるもので、万世一系の天皇のおおみこころのような、集合体ではないことを示しています。ところが、この祟り神の神格が、この世に権現することで、改めて人知を学び成長していきます。その結果が、奈良の大仏プロジェクトへの参加だといえます。
こうした歴史的データが示しているのは、あるレベルの神格を持った人間のたましいは、人間世界において成長し、この世を去るだけではなく、この世に再び神として下り、神社などにまつられても、意識体としてのそれは、成長するものだということです。これらのことは、これまでの人知にはない、神と人間の関係性を示しています。この秘密は、たぶん、この日本列島にだけに置かれ、これまで、秘密のヴェールの向こうに置かれていました。
「最終知識」をよく読めば、私がイセアマテラスと記述している存在は、この人間界に属しているという認識にとらわれるはずです。
そこでは、タカアマハラは、日本列島上の神界なのです。

日本列島が、その他の地球上の他の地域と決定的に違うのは、この列島上にのみ、日本語という神々の言語を使い、神々の思考パターンを投影された人間によって、世界史とは違う、もうひとつの歴史が刻まれてきたという点にあると気付いてください。すると、アマテラスの言葉が、神界の存在が人間界のことを知るために用意された場が、日本列島なのだということに到ります。つまり神々が成長するために日本列島に、人間として降りるだけではなく、神社にまつられる神格を持つ存在としても降臨し続けていたということです。
ここで、出雲のオオクニヌシに、タケミカヅチが国譲りを迫る場面を思い起こしてください。
タケミカヅチは、オオクニヌシに、汝がウシハクこのクニを、アマテラスの子孫がシラスクニにすると、言葉で伝えただけです。その言葉を理解したからこそ、オオクニヌシの国譲りの神話が成立するのです。そこでは、言の葉は、言の刃として、機能しています。剣神界の秘密が、ここにあります。

光の剣というものは、実は、言葉なのです。正しい言葉が使われると、そのことだまは、光を持ちこの世の闇をあきらかにしていきます。
これまで、神界語としてのやまと言葉は、人間界の論理性とは、別のもののように機能してきましたが、新しい日本語による神思考の時代においては、この人間界の論理性における整合性を持つことになります。
そのムーブメントこそ、私がお伝えしているシンロジカル・シンキングだといえるでしょう。これが完成すると現行の英語文明の時代が終わり、日本語文明の時代がはじまります。
二千十八年は、そのはじまりの年なのです。

二千十八年一月十一日 積哲夫 記

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Vol.582 神思考 光文書(ヒカリモンジョ)

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(ヒカリモンジョ)
Vol.582

神思考

日本の神社の結界が、いまほど強まっている時代は、ありませんでした。
ただし、その結界がきちんと機能するためには、神心とまではいいませんが、すくなくとも私心のない人間が神職としての奉仕をし続ける必要があります。残念ながら、明治維新の結果として生まれた、国家神道は、日本神界からは認められていないので、かつてのような神界からの託宣が、たとえば、宇佐八幡にくだることもないのです。それらのことがあって、私は、かつて、神界語はやまと言葉であったとお伝えしてきたのですが、そのやまと言葉を使った神界からのメッセージは、精神学協会の正会員プログラムを終了した会員のなかに、受信をできる人間が一定数、生まれています。これらのことは、精神界のプログラムと人間の側のたましいのプログラムが対応し、いま、この時空を共有していることを示しています。そして、実は、日本の神社の神々のわけみたまが、この日本神界の最後の使命として、人間世界に大量に配されています。
その数は、一万十柱と伝えられていますが、一万柱の神々が立つためには、その何倍ものわけみたまが必要なのです。
わけみたまのレベルを、山にたとえると、六合目のみたまならば、ほぼ普通の人生を送れるはずですが、それが、八合目ともなると、覚醒のために試練があることを覚悟しなければなりません。ここに、私の先達のひとりであった金井南龍の、すべての人間は五弁の菊座を持っているという知識を重ねます。

日本人の大好きな桜の花が五つの花びらを持つのも偶然ではないのです。
そして、天皇の紋章は、いうまでもなく十六花弁の菊です。それは、アマテラスの神格をあらわしているとされています。ところが、この十六花弁は八合目というのが、金井南龍が神業で得た神知でした。

日本列島の主宰神は、八合目でいいのですが、この地球の主宰神のレベルで十合目でなくてはならないのです。
精神界の情報でいうなら、それが先の大戦でこの日本が敗けた理由です。
出口王仁三郎的にいうなら、悪神とはいうもののアメリカの神は十合目、日本は八合目では勝負になりません。もし、あの戦争の前に、宇佐に神託を受信できる能力を持つものがいれば、間違いなく、開戦不可、と出たはずです。

明治維新前後から、敗戦に到る過程で出た日本の神懸りのほとんどは、スサノヲ神の筋でした。そこから、多くの宗教団体が生まれましたが、その神格は、さして高いものではありませんでした。
仏教を日本が導入してから、日本神界はある種のヴェールの奥に隠れ、その秘密保持の結界が切れたところから出てきたのが、そうした神々のデータだったともいえます。

神界と人間界との間に仏界を入れたことの意味は、神界にケガレを持ち込まないようにするためだったといえますが、それは、時がくるまで、人知に汚染させてはならないデータだったのです。
これらのことが、すべて最後の一厘の仕組みを発動させるための条件だったわけですが、この二千十八年の年頭に当り、私がここに記述しているということは、精神界のルールでいうなら、事は成った、または、成りつつあるということです。
ここで、さらに重要な告知をします。
いま、神界では、やまと言葉を中核にした、神の心、光のデータに人間をつなぐ新しき言の葉が生まれつつあります。

精神界は波動なのであり、その思考系もまた波動なのです。すると、人間の思考もチューニングすれば、天上にある光のデータ系を受信できるようになるはずです。
この神思考に到る道が、「最終知識」であり、この光文書なのです。
それらの書を読むことで、精神界のデータが、人間の脳に流れるルートが生まれるという伝達が届いています。

新しい神界語が、いま生まれつつあり、それは、ここで使われている日本語がベースになります。世界の人々も、やがて、神界にアクセスするために、日本語を学ぶ日が来るはずです。

二千十八年一月一日 積哲夫 記

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Vol.581 国軍への道 光文書(ヒカリモンジョ)

精神学協会 より[転載]
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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.581

国軍への道

日本の死者たちの世界の扉が開くということは、このクニの近代史のすべてが裁きの場に引き出されることを意味しています。私は、かねてからこの近代日本の無責任体質のすべての根源は、あの明治維新のうしろめたさにあったと考えていますが、それは、この平成の世が終わろうとしている今日も、ほとんど変わってはいません。

戦前の日本のシステムの頂点にあったのは、旧制の帝国大学ではなく、陸軍大学と海軍大学という、軍隊の教育機関でした。その頂点がなくなった戦後のシステムのなかでは、東京大学の出身者がこのクニをコントロールしているように見えます。そして、戦後の教育システムのなかでは、文武両道という江戸時代に形成された人材教育の出発点が失われ、マネーをコントロールするものが、すべての頂点に立つというアメリカですらあり得ない価値観が、旧大蔵省の東大出身者たちの暗黙の了解になったのでしょう。

大日本帝国の陸海軍は、敗戦によって消滅しましたが、官僚システムのなかでも、旧大蔵省は、占領軍のもとで、アメリカ支配の先兵となるようにコントロールされ、温存されました。この旧大蔵省が、多くの日本人が第二の敗戦と呼んでいるバブル崩壊から今日まで続く、経済戦争の敗者として現日本をつくったのですが、彼らの組織は、消滅するどころか、財務省としてさらに権力を拡大しました。

私が、もし、いまの時代の独立国としての条件をあげよと問われるならば、完全に自立した国軍の存在と、通貨発行権の国家管理という、ふたつのことを回答したいと思いますが、このクニは明治の時から、それらを手にしたことがないのではという思いもあるのです。先の戦争に負けていまの姿があるのではありません。なぜかというと、戦前の大日本帝国陸海軍は、明治維新の官軍と称する側、つまり薩長の利権として、事実上存在していました。それは、私の考える国軍ではありません。さらに、明治憲法の統帥権を盾にとった政治への関与は、国家の主人は誰なのかということすら理解しない武力集団が、戦前の陸海軍であったとすると、それは現在の大陸における人民解放軍のようなものといえなくもないのです。

通貨発行権の件では、日本銀行は設立時から民間の銀行です。ただし、このクニの歴史では、ほとんど知られていませんが、ある時期、政府通貨を発行したことがあります。ということは、もし、真剣に独立を希求するならば、未完の明治維新というテーマを持ち、このふたつの独立国の条件を整えようとする国民的な意志があれば、それは達成されるかもしれないと考える可能性が生まれます。

私が精神界から伝達されている、明治百五十年のテーマとは、実はこのことなのです。
ここで、西南戦争において、西郷隆盛は陸軍大将という最高の地位であったことを思い起こしてください。
西南戦争で散った、篠原国幹や村田新八が西郷大将のもとで、帝国陸軍を育てたならば、その軍は、少なくとも山縣有朋のつくった帝国陸軍とはならなかったでしょう。
その山縣なき後、陸軍からは長州の人脈の勢力が除かれ、それが結果的には、戦争の道を開きました。その中心にいたのが、陸士、陸大をとび切りの成績で卒業した軍のエリート層だったのです。
日本を滅亡させたのは、明治の日本の教育だったともいえなくはない歴史です。

敗戦後の日本のエリート層は、その明治の教育システムよりさらに劣化した環境で育てられてきましたが、その彼らが、この時代に第二、第三の亡国のストーリーの主役として、登場しています。
この二千十七年に、東大卒で文科省の元事務次官がマスメディアと共に、国家の権力の行使に、忖度という言葉を使う場面が、日常的にあるという宣伝をしたのは、それが現在の官僚の世界の常識であるらしいと、一般人にもわかる手助けをしました。そこにあるのは、国民国家の公僕たる公務員の姿ではありません。国民の権利や生命や財産を正しく守る、国軍も、いまの日本には、その姿はないのです。

二千十七年十二月二十八日 積哲夫 記

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Vol.580 アース・ウォーズ 光文書(ヒカリモンジョ)

精神学協会 より[転載]
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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.580

アース・ウォーズ

聖書の時代を終わらせるための戦いは、日本ではじまり、そのムーブメントは、西方ではなく、東方に伝わるというのが、私の知る最後の一厘の仕組みです。

精神学というものを、この世に伝達するという、私の役目のはじまりの頃に、私がくり返しいっていたことは、二十世紀にハリウッド映画として誕生したスターウォーズの登場人物になるよりも、はるかに面白い役割を精神学を学んだ人間は、その人生のなかで体験できる時代がくるということでした。

映画のスターウォーズは、よくも悪くも、光と闇の戦いであり、その作品のいたるところに、日本文明のエッセンスが使われています。それは、西欧文明が日本文明に出会わなければ、生まれようがなかった世界を描いているのです。
ここで、いまの時代を、この宇宙の全体のストーリーから、精神学の立場で解説すると、ブッダが出て、精神界の頂点に人間が立てるということが実証されて、イエスは当時のユダヤの民の承認によって十字架にかけられました。つまり、ある人間集団は神殺しに加担したわけです。
その人間集団のたましいのもとたる神は、自ら主張しているように妬むものでした。妬むものは、自分の次に来た、より上位の存在を受け入れることなく殺したわけです。こうして、ユダヤ教とキリスト教は分離しました。

その後の地中海文明は、暗黒の中世に突入します。ヨーロッパやアメリカの白人が好きな十字軍の歴史は、ムハンマドが出て、エルサレムの地を自分たちの宗教の聖地として支配していたことへの反撃としてはじまりました。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という、同じルーツを持つ宗教が、なぜ、天を同じくできないかというと、精神学を学んだらわかるはずですが、同一の神格ではないからです。
いまの時代は、イエスの十字架後に、神殺しの人間集団として長い期間の抑圧に耐えてきたユダヤ教徒が、金利を認めないキリスト教徒やイスラム教徒の教えの弱点を逆手にとって、この世界の金融を支配することで、自分たちに約束されたと信じる世の中をつくろうとしている、という見方もできるわけです。
そういう視点に立つと、歴史とは、地球の支配権を争う、神と神との闘争の歩みのようにも見えてきます。

一神教の歴史だけを追いかければ、そういう世界が見えてきます。それとは別に、ルネッサンスから科学技術が生まれ、そこから無神論も生まれて、共産主義や社会主義といったイデオロギーが生まれて、いまの社会があるという、唯物論的な歴史観もあることはありますが、その科学技術のルーツにあるのは、魔術です。地上の宗教は、その歴史が古ければ古いほど、魔術との親和性が高いので、科学技術は、ユダヤ教に大きな優位を与えるものだったともいえます。そして、その背後にあったアンチ・キリストというべき思いを人間に伝える悪魔が、大きな勢力を持つようになることにも貢献しました。

いまのこの地球は、一パーセントの持つ者たちが、九十九パーセントの持たざる者たちを、マネーを支配することで支配するという、構図のなかにあります。このまま行けば、この世の栄華のために、悪魔と契約を結んだ者たちが、あらゆる手段を使って、生き延び続けるために、地球のすべてを利用しようとするでしょう。それが、一神教の文明からもたらされた唯一の未来図です。
ここで、予言としてのスターウォーズという映画です。そこには、あるエネルギーを使うことのできる特別なグループが登場してきます。映画における彼らの能力は、日本の古武道にインスピレーションを得ていることを否定する人間はいないはずです。ところが、日本の古武道というものは、そのルーツを人間界には置いていないのです。神道なくして、いかなる武道もないというのが日本文明の特質です。

精神学が、気や念や呪、さらには、想や霊や魔として教えているエネルギーが実在していることに気付けば、スターウォーズの描く世界は、これからはじまる光と闇の戦いの予言であり予告であるということもわかるはずです。

日本文明の覚醒は、この地球の主人を光の存在とするためのストーリーのはじまりとなります。それは、世界を巻き込むアース・ウォーズといったものになるのでしょう。

二千十七年十二月二十一日 積哲夫 記

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Vol.579 死国の扉 光文書(ヒカリモンジョ)

精神学協会 より[転載]
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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.579

死国の扉

今回は、私がほとんどお伝えすることのない、神業者の活動によって、どうやら、この二千十七年十二月中に、四国、死の国といわれてきた大きな謎を秘めたエリアの何かが変化するらしいという情報を開示することにします。
すでにお伝えしたように、精神学協会の会員で、自分の血は古代イスラエルのレビ族のものであるという口伝を継承してきた人物が、その役割に覚醒し、幼少の頃に神秘体験をした永平寺の開祖である道元のみたまとのコンタクトで、私が神霊士として認定した二人と夫婦での神業をはじめられています。その内容は、やがて開示されることもあろうかと思いますが、重要なのは、その神霊士を導いてきた空海という存在も、道元という存在も、自分はレビ族の血を受け継ぐものと宣言し、新しい結界をつくってきたということです。それが一段落した時点で、いままで封印されてきた四国から、その謎がやっと人知の側に伝達されるということが、はっきりしてきました。なぜ、断言できるかというと、この神業に参加している四名の人間以外にも、私のもとに四国の秘密に関する情報を伝える受信者は複数、存在していて、いよいよ、このタイミングで情報開示せよとの指示が、私にもたらされたからです。

私が、このはたらきに引き出されてから、四国は死国であるということと、四国をつかさどるとされる四神の覚醒には、四国八十八ヶ所の結界が切れることが必要といった難題があり、とりあえず、石鎚山、剣山を光のネットワークにつなぐことだけをして、時を待っていたのです。
一般的に、これらの四国の秘密についてのことは、出口王仁三郎や岡本天明が伝えた、富士と鳴門のしくみ、として、最後の一厘のしくみと共に語られていますが、今回、私のところに届いた言葉は、「アワとナルトのしくみ」というものでした。
私の理解は、五十音のアからワまで、つまり、はじめから終わりまでの物語が読みとけるタイミングが来たらしいということです。
死国の扉ということは、死者たちの世界、いわば人間霊界、または黄泉の国のデータに、アクセスするための扉が開くかもしれないということを示しています。

道元も空海も、仏教の一派を立ち上げた開祖ですが、彼らが仏教的な宗教エネルギーを使って何をしてきたかというと、どうやら、時がくるまで人間に知られてはならない、何かを守るためだったようなのです。
ここで、彼らが、古代イスラエルのレビ族の子孫であったと主張している点に注目すれば、その隠してきた何かの正体も、推測することは可能でしょう。
よく知られている、かごめ歌は、六角形のダビデの星の秘密を解く鍵が、鶴と亀という言葉にあることを示しているのではないかという説があります。

私は、これを否定する立場にはないので、この日本にアークがあることを、やがて、世界が発見するだろうと考えています。
ただ、そのアークが実体としての容器なのか、あるいは遺伝子レベルでの聖なる何かなのか、さらには、人間のたましいに何らかの影響をおよぼす光のエネルギーのようなものなのかは、わかりません。わからないというよりも、そのどれでもよいと考えているといった方がいいのでしょう。

私が、現時点で理解しているこのストーリーで、重大な役割を担うのは、どうやら、剣神界の情報らしいということです。この道が通ると、古事記や日本書紀と、宇佐八幡の秘密と、天皇の物語がさし示すものが、私がかねてよりお伝えしている、聖書の時代の終わりという知識が、人類すべてのものになるはずなのです。
ここまで書いたところで、もしかするとこの文書が、予告または予言になりそうなことに警告されていることに気がつきました。たぶん、それらは、アメリカ大統領が大使館をエルサレムへ移転させる決定をしたこととリンクしています。

二千十七年が、平安のまま終わるとしても、何かの時が、近づいていることは確かなようです。

二千十七年十二月十四日 積哲夫 記

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