第5話 学校では教えてくれない百人一首 〜和歌を学ぼう!*第6話 植民地支配に反対した日本 〜もし日本が戦争に勝っていたら?〜 【CGS ねずさん】

第5話 学校では教えてくれない百人一首 〜和歌を学ぼう!〜 【CGS ねずさん】

2014/12/05 に公開
前回は紫式部の和歌の改変に関してのお話でしたが、さらに踏み込んで百人一首の和歌を­見てみましょう。そもそも「百人一首」とはどのような意味を持つのでしょうか?また、­それぞれの歌は一体何を意味していたのでしょうか?
学校では学べない、百人一首の真意をご紹介します!

第6話 植民地支配に反対した日本 〜もし日本が戦争に勝っていたら?〜【CGS ねずさん】

2014/12/25 に公開
お待たせ致しました。人気ブロガー・ねずさん登場の「ねずさんとふたりごと」の続編で­す!
前回まで「百人一首」の読み方や意味など様々な点で解説して参りましたが、今回はそこ­から派生して、日本の歴史的な側面についてご紹介致します。
女流文学者が大成するほど平和だった平安時代から、戦乱の鎌倉時代への変遷、そして徳­川将軍の鎖国時代を経て明治時代に至るまでの日本と、その時の諸外国での植民地支配の­状況を比較してみましょう。

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第3話 君が代の真意とは!? 〜「君」に宿る意味〜* 第4話 紫式部が言いたかったこと 【CGS ねずさん】

第3話 君が代の真意とは!? 〜「君」に宿る意味〜 【CGS ねずさん】

2014/12/03 に公開
今回は、日本国家「君が代」に関するお話をします。君が代=戦争・軍国主義、といった­誤った価値観を持つ人々がいますが、決してそのような意味ではありません!
今回は「きみ」の持つ意味、ひいては訓読みが存在することの意味を考えてみましょう。

第4話 紫式部が言いたかったこと 【CGS ねずさん】

2014/12/04 に公開
紫式部と言えば源氏物語であり、世界最古の女流文学者と言えるでしょう。彼女が生涯に­詠んだ和歌の中から、一首紹介致します。しかし最近の解説書では本来の和歌が改変され­、意味が変わってしまっています。和歌の原点は、少ない情報から状況を察することにあ­ります。

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第1話 日本人としての誇りを持とう! 【CGS ねずさん】 *第2話 日本人はなぜ自国を好かぬのか 〜誇るべき日本人の心〜 【CGS ねずさん】

第1話 日本人としての誇りを持とう! 【CGS ねずさん】

2014/12/01 に公開
本日から5回連続で、新番組「ねずさんとふたりごと」を配信します!
人気ブログ「ねずさんのひとりごと」を書いているねずさんこと小名木善行さんをゲスト­にお迎えし、「日本の誇り」について主に古典文化の側面からご紹介していきます!

第2話 日本人はなぜ自国を好かぬのか 〜誇るべき日本人の心〜 【CGS ねずさん】

2014/12/02 に公開
個別のテーマに入る前に、今日の日本が抱える課題についてはっきりとさせる必要があり­ます。
一つ挙げると、「シラス統治」の心を忘れていることがあります。シラスというのは皆が­団結するという、古くから日本に存在してきた考え方です。その上で、日本の政治のあり­方を考え直しましょう。

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天下の公民(3:八幡太郎義家)

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(11/21)
天下の公民(3:八幡太郎義家)
八幡太郎義家
源義家(八幡太郎義家)
さて、菅原道真公のおかげで、日本が再び鎖国され、変な連中が日本からいなくなると、ときは平安中期へと移ります。
この時代、まさに平安文化の爛熟期です。
源氏物語などの女流文学が誕生したのも、この時代でした。
そして同時にこの時代は、一般の庶民がたいへんに飛躍し、成長した時代でもありました。

もともと大宝律令のもと、日本全国の田畑は完全に朝廷によって把握されていたのです。
けれど子や孫というのは、だんだんに増えてくるわけで、そうなると子や孫を食わせなきゃなりませんから、いきおい新田の開発が進みます。

新田の開発というのは、オヤジさんがたったひとりでできるような簡単なものではありません。
大木を抜き、地面をならし、そこに水路をつくって水をひく。たくさんの人手がかかります。
しかも新田の開発は、利権の調整という、やっかいな問題をはらみます。
たとえば、利水権です。
川の上流の村が自分たちの新田のために水をせき止めてしまったら、下流の農民たちは、自分たちの田に水を引けません。
水がなければ田は営めません。
当然、それは新田主にとっては死活問題になります。
はじめのうちはこうした利水などの利害の調整も、貴族や国司などにお願いして調停してもらうのですが、そうなると新田はやはり公地として国が把握するものとなり、租税の問題が発生します。
せっかく開発した新田も、稔った米をみんな税で持っていかれるのでは、ちょっと辛い。

そこで中には、新田の一部を貴族などに寄贈するかわりに、その他の新田の税を免除してもらう、なんて人たちも出てきます。
要するに、新田寄贈による節税対策です。
この動きはだんだんに加速します。
こうして生まれたのが、私田です。

けれど私田は、免税特権があるかわりに、境界や利水などの紛争に際しては、国の貴族や国司などの庇護を受けることができません。
争いが起こったら、自分たちで解決しなければならないのです。

話し合いだけで解決すれば問題はないのです。
けれど、それだけでは、どうしても解決できない場合も多々でてくる。
そうなると、いきおい人望があって、強い人に調停を依頼しなければならなくなるわけで、そういう人たちは新田の封主として、新田の開発が進めば進むほど、その存在価値を高めます。

そしてこういう人のところにも、当然のことながら、新田の寄贈が行われたりしますから、なかには広大な私田を保有する人たちも現れる。
武士の誕生です。

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天下の公民(2:菅原道真公)

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2453.html
天下の公民(2:菅原道真公)
菅原道真公2
この肖像画、どこか中山成彬先生にお顔がよく似ておいでです。
一昨日の記事で、日本の民衆は「天皇の民」であり、施政者はその「天皇の民」を預かっている人だ、というお話をさせていただきました。
世界中の国々がほんの近世まで、国の施政者と民衆の関係を、支配者と被支配者の関係、言い方を変えれば「王様と奴隷」の関係として構築した中にあって、なんと日本では、7世紀という古代に、「支配者というのは、民衆を代表して支配者よりももっと偉い人の民を預かっているという身分」という制度を構築し、これを定着させてしまったのです。

日本にも、身分の違いはあります。
貴族と平民では、その身分は違う。
けれど、それは会社における部長や課長が、部下となっているメンバーを会社から預かっているだけ、つまり「役割の違い」であって、支配者とその隷属者という関係とはまったく異なるものです。

そういう国のカタチを、国のトップから率先して築き上げてきました。
教育勅語の文末に、「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」とありますが、19世紀の明治時代の改革に際しても、まさに国のトップからの率先垂範が宣言されています。
それで民衆の徳性が高くならないはずがない。

どこかの国が、儒教国と称しながら、国のトップはわがままや贅沢のし放題。恨教育と称して国民を愚民化し、結果、国をあげてアホになっているような国とは、わたしたちの国は、その土台が違うのです。

だからこそ、日本人は、百姓町民に至るまで、相手が武家であろうが貴族であろうが、「こちとらだって五分の魂ってもんがあるんだ」という気概が、民衆にあります。
いまの時代でも同じです。
いまだって安部総理のことを「安倍さん」と呼んでいるメディアがいかに多いことか。
身分制の元なら、これは不敬罪です。
仮にも相手は一国の総理大臣なのです。
マスコミの方々は、おそらく「向こうが総理なら、こちとらメディアだい!」みたいな気概あってのことであろうと想像しますが、そういう「気分」を持つことが許容されるのも、日本が権力者と民衆が人として対等な関係にある国であり、そういう国柄が2000年以上も続いている国であることの証拠でもあります。
そういう意味では、マスメディアのみなさんは、「安倍さん」とはばかりなく公言できる日本人であるということ、日本に産まれ育っていること、日本という国柄に感謝すべきであろうと思います。
そのことのありがたさに感謝することもわすれ、そのことを自分たちのわがままやウシハクのために身勝手な主張のために用いるのなら、それはすでに日本人ではないということです。

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地域活性化

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(08/03)
地域活性化
浅草酉の市
私の地元の埼玉県の春日部市もともと宿場町で、毎年夏になりますと駅前にあるお酉様で市が立ち、盛大なお祭りが行われていました。
いわゆる「酉の市(とりのいち)」です。
「市」のときには、商売繁盛の大熊手の屋台が立ちならび、熊手の購入者にはあたりにいるみなさんが、盛大に三三七拍子を打ってお祝いし、夜になると八幡様の神輿が出るという、たいそう賑やかなお祭りが行われていました。

ところが、もう30年以上前になろうかと思いますが、市の駅前開発によって、駅近くにあるお酉様(おとりさま)のお社(やしろ)が、取り壊され、付近の建物裏の小さなスペースに、隠れるようにして小さな祠(ほこら)だけが置かれるようになりました。

いまでも夏祭りはあり、それは「春日部市民祭り」と名前を変えて、お酉様とは何の関係もない、夜店の屋台が建ち並ぶお祭りとして残っています。
ただ不思議なのは、かつて大繁盛していた駅の東口のお酉様を中心に発展していた商店街は、いまではシャッター通りどころか、そこにかつて商店街があったということさえわからないほど、さびれて廃れてしまっていることです。
駅前なのに、です。
3つあった銀行も、いまでは1つです。

さびれた理由は、大店法の影響と言われました。
大型店に客足を取られたというのです。

ところがかつてあった駅前の「屋上に遊園地のある地元大型スーパー」は倒産してなくなり、そのあと商店街のいちばん奥に外資系の大型百貨店ができたのですが、これまた撤退してしまいました。
いま、その大型百貨店には、西武さんが入っていますが、これまた閑古鳥で、いつ撤退するかわからない状態といわれています。

人口が横ばいの地方都市に、大型流通店舗が出来れば、地元商店街は市場を奪われ、衰退します。
各世帯が月に消費する金額はそうそう変わらないのですから、たとえば市の市場規模が年間50億円だったとき、そこに年商30億円の大型店ができれば、商店街が持っていた売上げは、五分の二に減少してします。
全国的にも、こうした事情から駅前商店街がシャッター通りになってしまっているケースは多数存在し、それが社会問題と言われても久しいです。

ところが春日部で不思議なのは、その「大型店も倒産してしまった」ということなのです。
市の人口は横ばいです。ですから市の市場規模は変わりません。
にもかかわらず駅前商店街は、もとからそこに商店街などなかったのではないかと思えるほど消失し、駅前に3つあった大手銀行の支店も2つが潰れ、そして「市場を奪ったはずの大型店」も、倒産してしまったのです。

そして失われた商業市場がどこに消えたのかというと、駅前とは全然関係のない、もともと農村部だった郊外へとシフトしました。これはいったいどういうことなのでしょうか。
その理由を考えるとき、もちろん車社会になったからとか、駅の反対口(西口)側が発展したからとか、いろいろな説明がなされるのですが、どれもいまいち、説明がつきません。

ところが、ある日、あるお年寄りが、
「お酉様のお社(やしろ)を祖末にしたからだよ」とおっしゃられ、その場にいた全員が凍り付きました。
お酉様は、商売繁盛の神様です。
それを粗末にしたら、商売は衰退する。
絵に描いたような話です。

そういう眼に見えないものは、ただの因習だといって軽蔑される方もおいでになります。
因習かもしれません。
けれど、縄文、弥生の昔から、わたしたちの国では、神社やお社が、地域の人々の気持ちをつなぎとめ、心の共有をもたらす存在であったことは、古代や中世の記録に書かれた事実です。

春日部の東口界隈では、かつてはお酉様を中心にして、地元の人たちの結(ゆ)いが形成されていました。
地域の結いがあるから、商店の人たちは顔見知りの奥さんやお子様たちが元気に育つように、ちょっとでも良い野菜や魚を仕入れてきて、みんなに喜んでもらいたいと思って活き活きと働いていたし、地域の人たちも、そうやって朝早くから頑張ってくれている商店街のおやじさんや奥さんのために、「今日の夕餉には、あそこで魚でも買おうかしら」と、ごく自然な地域の連帯が生まれていたのです。

ですからもともと地域商店街の活力のもとというのは、そういう地域の結いにあり、商業主義とはまったく異なる、地域の人と人との絆やつながり、あるいは互いの思いやりの心の共有が、地域の活力の源泉になっていたし、それが、年に一度のビックイベントとなっていたのが、夏の酉の市のお祭りであったのではないかと思うのです。

ところが戦後は、そうした地域の絆やつながりが分断され、商業はただ売ればいい、儲かればいいという商業主義に傾斜しました。
そして地域や地元の結いを無視したそういう商業主義が、気がつけば商業そのものを衰退させてきたといえるのかもしれません。

全国いろいろなところで、地元商店街が壊滅して、シャッター通りになってしまっているというケースは多々あります。
けれど、ではそれが大型店が近所にできたからとばかり、果たして言えるのか。
そこをすこし深く考えてみなければならないのではないかと思うのです。

夏祭りのシーズンがやってまいりました。
全国いろいろなところで、
 大型店ができました。
 地元商店街がさびれました。
 その後大型店が撤退しました。
 けれど地元商店街はまったく復活も蘇生もしていない。
そんな事例が多々あるのではないかと思います。

そしてその発展しない場所の多くは、もしかすると地元の神社やお社や、もとからあった酉の市のような商業の神様を粗末にし、人々が感謝の心を忘れている。そんな傾向はないでしょうか。

逆に、そういう古くからいる神様を大切にしている商店街は、おばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨の地蔵通り商店街、赤城神社をきれいに再建した神楽坂、明治神宮の表参道など、大繁盛を続けています。

神様のご利益云々は別としても、その神様の存在が、地域の人々の気持や心を繋ぎ止め、人々の地元への思いを共有してきたし、そこに古くからある互いの感謝の気持ちが、結果として地元に大規模店舗がたとえできたとしても、商店街がいまだに存続している大きな理由のひとつを構成しているとは考えられないでしょうか。
現に、壊滅してしまった古い商店街では、地元の神様が粗末にされているということはないでしょうか。

もうひとつ事例をあげます。
こんどは、悲しい事例ですが、上に述べました春日部の事例よりもショッキングです。

先日佐世保で痛ましい事件が起きましたが、その佐世保では、この10年の間に4件の痛ましい事件が起きました。そしてその4件の事件は、すべて直径1km以内の狭い範囲で起きています。
2004年6月1日:ネバダ事件、市立大久保小学6年女児が同級生をカッターで首を切り殺害。
2007年12月14日:スポーツクラブ:ルネサンス佐世保事件。銃を乱射し2人が死亡、6人が重軽傷。
2011年6月5日:佐世保同仁会病院理事長が養母を殺害
2014年7月26日:高1女子児童同級生殺害事件
の4つです。
そしてこの4件の事件のあった現場を線で結ぶと、その中心に亀山八幡神社があります。

佐世保には「おくんち」と言う祭りがあました。
その氏神様が亀山八幡神社です。
ところが近年、「地元を盛り上げる」ことを理由に市が中心となって「佐世保よさこい祭り」なるものを始めて、宗教色があるからと、亀山八幡様はないがしろにされているのです。
つまり、もともとは神社のお祭りであったものが、市民祭りと称して、別なものにすり替えられているのです。

「だからその祟りでは?」
最近、地元では、そういう話がささやかれるようになってきているそうです。
非科学的だと一笑に付してしまわれる方もおいでになるかもしれませんが、ではどうしてこのような狭い地域で、悲惨な事件が集中して起きたのかは、不思議なことです。

地域活性化とか、地元の元気を取り戻そうとか、標語は全国にあふれています。
けれど、肝心の、もともとの「人々の気持ちや心を繋ぎとめ、地域への思いや感謝をもたらす存在は、ないがしろにされたままです。
そして、地域によっては、悲惨な事件まで起こっているわけです。

地域の活性化のために、その地域のつながりや絆の源泉となっていた古くからの伝統的価値を、もういちど見直してみること。
もしかすると、それこそが本当の意味での地域活性化をもたらす、最大の鍵といえるのかもしれないと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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天下の公民(1:おおみたから)

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(11/18)
天下の公民(1:おおみたから)
富士山0111
日本の歴史のターニングポイントというのは、大きく2つあります。
それが「7世紀」と「19世紀」です。

7世紀に何があったかというと、支那という外圧によって、国内が統一され、大化の改新が行われて日本が天皇のもとに統一されたという出来事です。
19世紀に何があったかというと、欧米列強という外圧があって、日本が再び天皇のもとに統一されたという出来事です。
そして19世紀に行われた明治維新にはじまる日本の統一は、実は7世紀の大和朝廷の仕組みを、形を変えて日本の体制に復元した、というものです。

そこで7世紀に行われたこと、つまり、天皇のもとに日本が統一されたというできごとを考えることは、同時に19世紀の維新を知ることにもつながるということができます。
なぜなら、日本の歴史はずっとつながっているからです。

その7世紀に起きたこと。それが天皇を政治的権力者ではなく、政治的権力者(いまで言ったら内閣総理大臣以下の閣僚、少し前なら武家政治の中心者である将軍など)に、その権力者に「権力の認証」を与える「権威」としたことです。

たとえば、支那の皇帝というのは、権力者であり、人民に対する絶対の支配者です。
そしてその支配者としての権力は、天の神から与えられます。天の神が、「おまえはもう統治者として不適格だ」とお怒りになると、そこで革命が起こって、別な家系にその権力者を移します。これが易姓革命です。

こうした統治形態は、支那に限らず、世界中で行われていたことです。
たとえばフランスのルイ王朝など、まさに絶対王政といわれる統治形態、これなども、ルイ家の政治権力は、神によって認証され権威付けられるという形をとっています。

似たようなことは、いまでも行われていて、たとえば米国大統領も、もちろん民意によって選挙で選ばれますが、その選ばれた「人」が、大統領という「権力者」になる前には、神による「認証」が行われます。
「認証」があって、はじめて統治者として認められる。

ところが日本における天皇の存在は、7世紀においても、19世紀においても、またそれ以外のどの時代においても、天皇が権力者であった時代はありません。
天皇は、政治を行う者に「認証」を与える「権威」としての存在です。

つまり、日本では、大陸や西欧でいう「神」の位置に、天皇がおわす、という形をとり、その形が完全にわが国に定着したのが、7世紀であった、ということです。

ではなぜ天皇が、諸外国でいう天の神の位置におわすかというと、その原点が神話にあります。
アマテラスオオミカミからの血の血脈が皇統です。
つまり神の血をひく直系の子孫が天皇であるわけです。
そして血統をもつ天皇が、神のもとに政務を司る者に権威を授ける。
そういう仕組みが7世紀に完全にわが国に定着したわけです。

そして、ここから大事なポイントなのですが、このときに、実はもうひとつ、ものすごく大きな出来事、しかもそれは世界にも類例のない、ものすごいことがわが国で起こっています。

それが何かというと、一般の民衆が「公民(おおみたから)」とされたことです。
みなさんは「公地公民制」という言葉を聞いた頃があろうかと思います。そこで使われてる「公民」です。

その「公民」とは何かというと、実は、天皇の民ということです。
そして将軍とか、大政大臣とか、関白とか、内閣総理大臣とか、様々な権力者の形はありましたが、それら施政者としての権力者は、その「天皇の民」を預かる立場となった、ということです。

つまり、日本における統治者、つまり、大名や将軍や関白や、身近なところでは、部長さんや課長さんや社長さんにいたるまで、人の上に立つ者は、絶対的権力者や支配者ではなく、「天皇の民」すなわち「公民」のたちの生活を守るために、「公民」たちを預かっている立場、と規定されたわけです。
そして預かっている政治権力者も、同じ「天皇の民」つまり、「公民のひとり」だと規定されたのです。

そしてこれこそが、わが国の精神文化の源流となっています。
つまり、一寸の虫にも五分の魂という気概が、一般庶民の精神の根底に常に存在し続けているということです。

大陸や西欧では、そうはいきません。
君主はまさに絶対権力者であって、言うことを聞かないものに対しては、まさに生殺与奪の権力を持っています。
王が命令して、言うことを聞かなければ、一族郎党皆殺しなんてことも、普通に行われるわけです。

最近でも「王様ゲーム」なんてのがあるのだそうです。
ジャンケンで王様になった人は、それ以外の人に対して、なんでも好きな命令ができる。命令された側は、絶対にそれを聞かなくちゃ行けない。
けれど、ゲームであっても、日本人なら「そんなのヤダヨ」と平気で断ったりしてしまう。というか何か違和感がある。

日本においては、支配者は、絶対君主と異なり、公民を預かる人です。自分もみなと同じ公民のひとりです。
ですから、みんなの意見を聞いて、みんなの意思をとりまとめて、みんなの協力を得てことを前に進めようとする。

主君が「俺はエラいんだ」などと思い込んで、横暴な働きをすれば、家臣たちが集まって相談し、「主君押込め」といって、主君そのものを廃絶してしまう。
江戸時代の伊達騒動や、上杉鷹山の押し込めなどが有名です。
なぜそんなことが起こるかといえば、主君は、絶対権力者ではなく、常に公民を預かる立場の人だからです。

日本で、「えらい人」というのは、絶対的権力者を意味しません。「えらい人」は「偉い」のではなく、「エライ人」つまり、みんなのために汗をかく、しんどい責任を与えられた人という意味を持ちます。

これを大陸的「偉い人」と混同すると、日本の歴史は見えて来ません。
日本は、あくまで庶民が全部天皇の民であって、施政者から商店主にいたるまで、その天皇の民を責任をもって預かっている立場だからです。

このことは、いいかえると、日本はすでに7世紀の昔に究極の民主主義を実現していた、ということです。
人が人を支配するのではなく、みんなのために働くことが施政者の役割、と規定され、それが日本人の精神として定着しているからです。

こんな制度を築き上げた民族は、7世紀という時代を考えれば、世界中どこを探してもありません。
このことは、ある意味、人類史の奇跡といえるかもしれない。

さて、このことがいまの政治の話とどう繋がるのか、この続きは明日の記事に書きます。

※この記事は2013年1月の記事の再掲です。
Beautiful Scenery Japan
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本物を買おう!

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(11/16)
本物を買おう!
修理固成
ある年代から上の方なら、子供の頃にお年寄りから、
「安かろう悪かろう」
「安物買いの銭失い」
という言葉を言われて育ったご記憶があるのではないかと思います。

それでも、その年代の方がまだ幼子の頃は、近所の駄菓子屋さんに置いてあった品物は、当時のお年寄りたちからしてみれば「安物」であり「銭失い」であったかもしれないけれど、それなりに良いものが扱われていたように思います。
いまでも、昭和30年代のブリキのおもちゃや、当時の手鞠(てまり)や羽子板、あるいは木製品のおもちゃなどが売られていますけれど、すくなくとも日本産のそうした製品は、現代の水準からすると、かなり「良いもの」です。

ところが最近、食や雑貨の分野では、特に支那産を中心に、なるほど値段は安いけれど、「悪かろう」の水準が極端に低い・・・食べ物なら毒物が混入されていたり、食器やサンダルなどでは体に触れるものでありながら、人体に害のある化学物質が混入されちえるなど、悪かろうどころか「危険」な物品が大量にわたしたちの周りに流通するようになりました。
もう「安かろう、悪かろう」のレベルではないのです。危険水域に入ってしまっている。
いまこそ本物が求められています。

以前にもご紹介させていただきましたが、たとえば支那産のウナギ。
稚魚は日本産と同じで、日本ウナギの稚魚なのです。
ところが日本産のウナギは痩せいていて細長く、支那産のウナギはまるまると太っていて肉厚です。
支那産ウナギが登場したばかりの頃は、値段も国産ウナギとくらべて半値だし、肉は厚いしで大喜びで食べていたものですが、なぜまるまる太って肉厚なのかを知ってびっくり。
なんと、成長を早めるためにと養殖場に厚さ10センチくらい女性ホルモン剤を敷き、おかげで養殖場の近所の子供達は6歳で男にはヒゲが生え、女の子は胸が膨らむ。
餌には、支那本土でもっとも安価な肉として、人間の死体を餌にする。
そんなことがわかってからは、さしもの支那産ウナギも、まるで売れなくなり、いまだにスーパーには支那産ウナギが山積みされている情況となりました。
困った業者さんは、支那ウナギを牛丼チェーンに持ち込んで、安価なうな丼として販売するようになりましたが、果たしてそれもいつまで続くことやらといった情況です。

他にも、docomoが、韓国産のスマホを大々的に売りだしたことがありました。
ところが、いくら巨額の宣伝費をかけても売れない。
売れるわけがありません。火を吹くスマホなんて、危なくて誰も持てない。

どこぞの国の自動車も、エンジンキーを差し込んだ瞬間に暴走しはじめたり(下の動画参照)、ドイツ製の自転車と衝突して自動車の方がぺしゃんこになったり、あるいは上り坂で突然、下り始めたりと(このあたりはYoutubeなどの動画サイトにいくらでも映像があります)、およそ、考えられないような事故が多発しています。

ちなみに、絶対に買ったらダメなのが、支那・韓国産の自動車タイヤです。
自動車というのは、簡単に言ったら、タイヤに人を乗せてエンジンで走る道具です。
そのタイヤが、支那や韓国産のタイヤなら、国産タイヤの10分の1の価格で買えますけれど、これだけは絶対にやめた方がいいです。
外見はタイヤに似ていますが、あれはもうタイヤと呼べるシロモノではありません。
氷でできたタイヤに乗るようなもので、装着した瞬間、あの世に近づきます。危険食品よりなお怖いです。

彼らにしてみれば、「安ければ売れて儲かる」からそのようなものを売っているだけなのかもしれませんが、このような精神は、修理固成(つくりかためなせ)の国日本では、まったく考えられない精神性です。

わたしたちは、およそ日本人の常識外のことが現実に起きているという事実を、あらためて再認識する必要があると思うのです。
日本語にも「安かろう悪かろう」という言葉は、古くからあります。
しかし、その「悪かろう」が、日本人の常識をはるかに上回る「悪かろう」なのです。

もう2年ほど前のことなのですが、財布がボロボロになってしまって、たまたまスーパーで千円で紳士用の長財布が売られていたので、デザインも良いし、思わず買ってしまいました。
家に帰り、さっそく財布の中身の入れ替えをしようとしてびっくり。
財布にはカードホルダーがついているのですが、そこにカードがはいらない。
サイズが微妙に小さいのです。
おかしいと思って、財布をよく見たら「Maid in China」と書いてある。
クレジットカードが、支那だけサイズが小さいということはありえないと思います。
要するに採寸が違っている。
カタチだけ真似して、そこに「モノ作り」の心がこもっていないから、こういうことが起きます。

ちなみに最近では、「Maid in China」と書いてあると売れないので、「Maid in PRC」と表記しているのだそうです。
「PRC」は、「People’s Republic of China」の略で、直訳すれば「中華人民共和国」です。
支那製品が、表示を「Maid in China」から、「Maid in PRC」に変えたら、世界中で売上が倍増したという話もあります。
なるほど標記としては「Maid in China」よりも、「Maid in PRC」の方が「正しい」のかもしれないけれど、これは新手の詐欺みたいなものに思えます。

もっと大きな問題は、こうした支那や韓国の安価なインチキ製品の普及が、実は日本人にとっての「安物買いの銭失い」になっている、という点です。
早い話、たとえば百均などで売られている雑貨を、日本はいま支那から年間約10兆円買っています。
雑貨の値入率はだいたい4掛けですから、小売市場規模は25兆円になります。

これら支那からの輸入雑貨の生産を全部国産に切り替えたら、製品の価格は100円でなく300円になるかもしれません。
ということは、単純計算で50兆円の内需が国内に生まれることになります。
これは日本のGDPを10%押し上げるだけでなく、製造業を活性化し、就業機会を増やし、雇用を拡大し、日本経済を二桁成長に押し上げるだけのインパクトを持ちます。
そしてそれだけでなく、安全で安心な高品質な製品を、わたしたちは共有し、使えるようになるのです。

もうずいぶん前のことになりますが、某国に仕事で出張した際、そこでは現地産の缶コーヒーが一本、10円で売られていました。
日本産の缶コーヒーも売られていて、それは一本100円でした。
値段が10倍違います。
現地産の缶コーヒーなら、10円で買えるのです。

では、その外国産缶コーヒーを日本に大量に輸入して販売し、日本人が「安いから」と、その缶コーヒーを買うようになったら、日本国内はどうなるでしょうか。
缶コーヒーにかかる家計消費支出は100円から10円に下落します。これはつまりGDPが10分の1になることを意味します。
おそらく国産缶コーヒーメーカーは倒産し、雇用は失われ、収入のなくなった日本人からは購買力自体が冷え込み多くの人びとが貧困に身を委ねることになってしまうことでしょう。

そしておそらく、その缶コーヒーの輸入をした者だけが大儲けをする。
問題は、その「大儲けをする人が誰か」です。
日本人なら、儲かったお金はみんなのお金、会社のお金と考えます。
その会社は、地域の活性化や産業の振興のためにお金を使ってくれるかもしれません。

けれど、それが拝金主義のウシハク在日外国人なら、儲けたお金は社員にさえ還元しません。自分一人で利益を独占します。
日本企業なら、一部上場の大手でも、社長の給料は年4000万円くらい。一般の社員との格差は10倍程度ですけれど、在日系のトップは、平気で年俸200億円とかをとったりします。そして社員は16時間労働があたりまえで、年俸は200万円くらいしか払わない。給料格差は1万倍です。

彼らはそれを「勝ち組」だという。
そして豊富な財力にものを言わせて、政治やジャーナリズムを買収し、自分たちに都合のよいように社会の制度を変えたり、虚偽の情報を流したりします。
要するに特権階級を構成していくわけです。

そして民衆はますますバカになり、教育レベルは下がり、テレビは予算の安価なお笑い番組ばかりとなり、富は偏在し、民衆は長引く不況に、女房まで働かせなければ飯が食えなくなる。
それって、いまの日本そのものではないでしょうか。

これそこまさに、「安物買いの銭失い」です。
そして日本に住む日本人が貧しくなり、ごく一部の特権者だけが巨利を得る。
日本がウシハク国となる。
それが彼らの狙いでしょう。

もう目を覚ましましょう。
日本は古来、食とモノ作りを大切にしてきた、和と結(ゆい)の国です。
もう、「安かろう悪かろう」はやめにして、少々値段が張っても、ちゃんとした製品をちゃんとしたところから買う、そういうあたりまえのことがあたりまえにできる国や国民に戻していこうではありませんか。

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龍馬暗殺

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(11/15)
龍馬暗殺
京都近江屋復元_th
今日、11月15日は、坂本龍馬(33歳)と中岡慎太郎(30歳)が京都・近江屋で暗殺された日です。
旧暦ですと慶応3年11月15日、新暦ですと1867年12月10日の出来事です。
午後8時頃、龍馬と中岡慎太郎の二人のいる部屋に、十津川郷士を名乗る男二名が押し入り、まず額を割られたうえ、数か所を斬られて即死したとされています。

この暗殺について、明治3(1870)年になってから、元見廻組の今井信郎が、取り調べの最中に、佐々木只三郎とその部下6人(今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助・土肥伴蔵・桜井大三郎)で坂本龍馬を殺害したと供述し、これがいまでは定説とされています。

ところが他にも、新撰組の伊東甲子太郎(かしたろう)が新撰組のものと証言していたり、中岡慎太郎が犯人が「こなくそ」と言ったから犯人は四国の土佐藩士だったという説があったり、薩摩藩の西郷隆盛にとって、当時龍馬が邪魔だったからという説があったり、実際のところ、いまだに「よくわからない」というのが実情です。

そもそも坂本龍馬は北辰一刀流免許皆伝の達人です。
しかも当時としては大柄で巨漢ともいえる堂々たる体躯であり、しかも拳銃を所持しています。
さらに名前も売れている。

もし犯人が、見廻組や新撰組ならば、龍馬を討ったとなれば、剣術の達人で拳銃を携帯し、しかも巨漢で有名人さえも討ち果たしているわけです。
それだけの人物を討ったとなれば、これは隊の名を売る格好の材料です。
そして宣伝は、それだけで京都市中の治安維持という彼らの活動に、大きなプラス材料にも働きます。
であるならば、犯人が見廻組や新撰組であったとした場合、これを彼らがその時点で大々的に宣伝していないというのは、あまりにも不自然すぎます。

ましてや佐々木只三郎は小太刀の名手です。
小太刀術というのは、要するに脇差しなどの短刀で大刀や槍を持った相手を倒すという技で、これが北辰一刀流を破り、さらに拳銃まで破ったというのなら、当時の情況からして、そもそもこの時点で龍馬は指名手配の「お尋ね者」だったわけですから、事件直後に彼らが討ったと公表しないのは、おかしすぎます。

今井信郎の供述にしても、この供述自体がきわめて信憑性に乏しいものです。
今井信郎供述は、戊辰戦争の最中に行われたものですが、当時は戦時中ですから、どこでも腕の立つ者はほしいわけです。
食うに困った今井信郎が、犯人不明の龍馬暗殺たと称しておのれの値打ちを高めて傭兵になろうとしたということは、十分に考えられるわけです。

それともうひとつ、たいせつな事柄があります。
それは、「京の建物は天井が低い」ということです。

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みんなの支えあいがカタチになったのが政治

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(11/12)
みんなの支えあいがカタチになったのが政治
戦艦三笠1112>
今日、11月12日は、大正15年に日露戦争のときの日本海海戦で旗艦として東郷平八郎聯合艦隊司令長官が座乗し、大活躍した戦艦三笠が永久保存と決まり、その保存記念式典が盛大に行われた日です。
戦艦三笠は、いまでも、「世界三大記念艦」のひとつに数えられる名艦です。
「世界三大記念艦」とは、

英国【ビクトリー号】
ナポレオン戦争における最大の海戦であるトラファルガー海戦で、英国を勝利に導いた戦艦で、この戦いで指揮官のネルソン提督が艦上で戦死。英国海岸のポーツマス軍港内に保存。
米国【コンスティテューション号】
フランス革命、ナポレオン戦争、独立戦争で活躍した戦艦。ボストン造船所に保存
そして日本の【戦艦三笠】です。

世界三大何々とは、いろいろな場面で人々の言の葉にのぼるものですが、およそどの国においても、軍や戦争というのは、国の歴史において人々の生死のかかったたいへんな事態であるだけに、有名な戦いや陸海空で活躍した戦車や飛行機などには多くの人びとが大きな興味を持っています。
なかでも戦艦は、その巨大なバトルシップ同士の戦いであることから、世界の三大高山は知らなくても、世界の三大戦艦は、むしろ知っている人の方が多い。
そしてそのなかのひとつが、日本の戦艦三笠です。

その戦艦三笠は、戦艦としてはかなり小ぶりで、三大戦艦の中でも、もっとも小さな艦です。
ところがその小柄な三笠が、なんと軍功という意味においては、三大戦艦の中では、まさに群を抜いています。
まるで日本人そのものの象徴みたいです。

三笠は、明治38(1908)年5月27日の日本海海戦で、当時世界最強とうたわれたロシアのバルチック艦隊(なんと38隻です)のほとんどを撃破して、文字通り空前の大勝利を飾っただけでなく、この一戦の勝利をもってロシアの太平洋への進出の野望を打ち砕き、さらに黄色人種が白人を打ち負かしたという事実をもって、私有財産さえ持てず、欧米列強に欲しいままに略奪され続けた世界の被植民地国家の人々に夢を与え、彼らの国を独立にまで導いています。
単に戦いに勝利したというだけでなく、世界中の人々の心を揺り動かしたという意味においても、まさにベスト1の戦艦といえる船なのです。

その三笠が建造されたのは、日清戦争のあとのことです。
当時日本は、ロシアの南下政策に対抗するため、海軍力の拡張を迫られていました。
このとき計画されたのが「六六艦隊計画」で、これは戦艦を6隻、装甲巡洋艦を6隻配備するという計画です。

三笠はこの計画に沿って建造することになったのですが、当時の明治政府はまだまだ東亜の貧乏国です。
政府にカネがない。
そんななかで建造企画を通した当時の海軍省は、実にたいしたものだと思いますが、やっとの思いで通した予算も、実は全然不足だったのです。

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生きる力 ゲンマイ
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2016年1月1日 新年を迎え、日本に生まれた幸せをかみしめ、日本人で有る事の誇りを持ち、 生きる喜びを持ち続けたいと願いました。
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新鮮な野菜と果物・ゲンマイそしてPCの山暮らしです
2011・2012この凄まじい年を生きている。幻想の世界が終り2013より今現在考えの及ばない 世界に入ると云われている。*私達の力がどれ程強いか、自己主権を持った者であり自由であるそれが現実です。意識が自由になって初めてそれが外に現れると。本当の自分を思い出す時が来た(ジョージ・カヴァシラス)