住吉神社(3)住吉大神と神功皇后

•住吉神社(3)住吉大神と神功皇后
[ 2011-10-18 20:34 ]
住吉神社(3)
住吉大神と神功皇后

神功皇后と住吉大神はどのような関わりがあったのでしょうか。
住吉大神は日本書紀でも意外にも沢山出て来ました。
これまでの逍遥で各話の現場が分かったので、
今回は神社名を紹介しながら、住吉大神が出てくるシーンを書いて行きます。
香椎宮 福岡市東区香椎
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仲哀8年秋9月5日に、仲哀天皇は群臣たちを召して、熊襲攻撃について協議させました。
その時、皇后に神が懸かって神託がありました。
「天皇よ、どうして熊襲が服従しないのを憂うのか。
そこは例えれば、肉のついていない背中のように痩せた国であるぞ。

兵を挙げて討つほどの国であろうか。この国より宝がある国がある。
例えれば、乙女の眉のように弧を描いた国で、
我が国の津に向き合った所にある。
眼もくらむ金・銀、美しい色が沢山その国にはある。
その名をタクブスマ(タクの木の繊維で作った布団が白い、
その白色の名を持つ)新羅の国という。

もし我を良く祭れば、刃に血を塗る事なく、その国はおのずと降服するであろう。
また熊襲も服従するであろう。
われを祭るには、天皇の御船と穴門の直(あたい)ホムタチの献上した
大田水田を供えよ。」
と言いました。

天皇は神託を聞いて、疑いました。
すぐに高い山に登って、はるかに大海を望みましたが、広々として国は見えません。
天皇は神に答えました。
「私が見渡すと、海ばかりで国は有りませんでした。
大空に国がある訳でもありますまい。
どこの神が私をだまそうとしているのですか。
もともと私の皇祖の諸天皇たちからずっと天地の神々を祭って来ました。
どうして、それに漏れた神があるのでしょうか。」と。

すると、再び神が皇后に懸かって、
「天にある水鏡をのぞくように、われが天から下界を見ている国であるのに、
どうして国が無いなぞと、私の言葉をそしるのだ。
そなた天皇がそんな事を言って、最後まで信じなければ、
そなたはその国を得る事は出来まい。
ただ、皇后がようやく身ごもったので、その子が手に入れることになるであろう。」
と言いました。
しかし天皇はやはり信じないで、強引に熊襲を攻撃しました。
勝つ事が出来ないで戻って来ました。   (日本書紀)
小山田斎宮 古賀市小山田
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仲哀9年、春2月に、仲哀天皇が筑紫の香椎宮で崩御された時、
皇后は、天皇がご神託に従わなかったために早く崩御された事に心を痛めて考えました。
祟っている神を明らかにして、神の勧める財宝の国を求めようと。
そこで、群臣や百寮たちに命じて、国中の罪を払い清め、過ちを改めて、
さらに斎宮を小山田の邑に作らせました。

3月の1日に、皇后は吉日を選んで、斎宮に入って、自ら神主となりました。
その時には武内宿禰に命じて御琴を弾かせました。
中臣の烏賊津(いかつ)の使主(おみ)を召して
審神者(さにわ)としました。
そしてお供えの織り物をたくさん、御琴の頭と尾のところに供えて尋ねて言いました。

「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。
願わくは、その御名を教えて下さい。」
と。七日七夜経って、ようやくお答えになりました。
「神風の伊勢の国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮にまします神、
名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
(つきさかき・いつのみたま・あまさかる・むかつひめのみこと)。」と。

烏賊津の使主がまた尋ねました。
「この神以外に他の神はいらっしゃいますか。」
お答えがありました。
「旗のように靡くススキの穂が出るように出た吾は、
尾田の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である。」と。
「他におられますか。」
「天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神
(あめにことしろ・そらにことしろ・たまくしいりびこ・いつのことしろのかみ)有り。」
「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
そこで、審神者が言うには、
「今答えずに、また後に出て来られることが有りますでしょうか。」
すると答えがあった。
「日向国の橘の小門の水底にいて、海草のように若やかに出てくる神、
名は表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、

底筒男(そこつつのを)の神がおる。」と。
「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
ついに他に神がいるとも言いませんでした。
その時に神の言葉を得て、教えの通りにお祭りをしました。
(日本書紀)
現人神社 筑紫郡那珂川町
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皇后はこうして神の教えの霊験がある事を確信して、
さらに天つ神、国つ神を祭って祈り、西の方を討とうと思いました。
そこで神田を定めました。その時、儺の川の水を引かせて、神田を潤そうと思って、
溝(うなで)を掘りました。

とどろきの岡に至ると、大岩がふさがって、溝を通す事が出来ません。
皇后は武内宿禰を召して、
剣、鏡を捧げて天地の神に祈らせて、溝を通そうとしました。
すると雷が急に鳴り出して、その岩を踏み裂いて水を通しました。
そこで人々はその溝を裂田溝(さくたのうなで)と言いました。 (日本書紀)
唐ノ松神社 中間市垣生
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ここはかつて遠賀川の中の岩の島だった。
神功皇后は帰途にここで住吉大神を祭り、渡海安全の祈願をして剣と鉾を奉納した。
そしてそのしるしに自ら松を植えた。 
(神社誌)
住吉神社 遠賀郡若松
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神功皇后は再びこの崗の津に着いて、
この丘に登って海上に浮かんだり飛び交う水鳥を眺めた。
この時、神功皇后は群臣を召して
「このたびたやすく三韓を従える事が出来たのはひとえにこの神のお蔭である。
その恩をひとときも忘れない。」
と言って自らの手で一株の松を植え、その根元に白幣を納め
「この松は神ともに弥栄に栄えよ。」祈った。
こうしてここを若松と呼んで住吉大神を祭った。(神社誌)
住吉神社 下関市
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戦勝を収めると軍に従った神、表筒男、中筒男、底筒男の三柱の神々が
皇后に教えて言いました。 
「我が荒魂を穴門の山田の邑に祭りなさい。」
と。その時、穴門の直(あたい)の祖、ホムタチと
津守の連(むらじ)の祖のタモミの宿禰が皇后に言いました。
「神が鎮座したいと言われる所には必ず定めて祭られますように。」
そこで、ホムタチを荒魂を祭る神主にして、
祠を穴門の山田の邑に立てました。(日本書紀)
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近年まで8月15日には忌宮神社と住吉神社の神輿が会う祭があっていたそうです。
るなは考えた
日本書紀と神社誌から6つの神社を紹介しました。
これらから分かるのは
住吉族は最初から仲哀天皇と行動を共にしていましたが、
香椎宮で天皇の船と穴門の大田水田を求めていたという事です。
戦うための水軍の兵を住吉族は供給出来たのでしょう。
船が48艘も作られたらそれぞれに船頭や指揮官、水兵が必要です。
これらの取引が行われたのでしょうか。

住吉族の拠点は那珂川町の現人神社にあって、水田を作ろうとしたけど、
潮水が上がって来るので稲作が出来ずに困っていたのが分かりました。
そこで神功皇后と武内宿禰は裂田の溝(さくたのうなで)を作って、
水田が作れるようにしました。それを神田として供えたのです。

このあと新羅攻撃に勝利して再び豊浦宮へ戻る訳ですが、
神功皇后は各地で住吉大神を祭っています。(住吉大神を祭った所はまだ他にもあります。)

住吉族の神々を祀ると言う事は、戦争の褒賞として
その地の制海権を宣言して与えていく事だと考えています。
遠賀川の唐ノ松神社や住吉神社は船がよく見える島や岬の上でした。

しかし住吉族はそれだけでは満足せず、やはり穴門の制海権と水田を再び求めて来ました。
そこでホムタチとタモミの宿禰が譲歩して皇后に穴門を住吉族に与えるように勧めています。
そしてホムタチは住吉大神の荒魂を祀る祭主になりました。

神々の話を人間のドラマとして読み変えると、このような状況になりました。
皇后と住吉族の深い関わりは大阪の住吉大社へと続きます。
大阪の住吉大社の由緒や高良玉垂宮の秘密書などからは、
二者の間についての深い謎がまだまだ残っています。
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住吉神社(2)竹内宿禰の手植えのクスノキと木材加工

ひもろぎ逍遥 より【転載】
住吉神社(2)竹内宿禰の手植えのクスノキと木材加工
[ 2011-10-20 19:30 ]
住吉神社(2)
竹内宿禰の手植えのクスノキと木材加工

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正面から右の方に行くと摂社がありました。
そこからさらに左の奥に行くとクスノキの大木か現れて来ます。
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さらに進むと武内宿禰命御手植えの楠がありました。
武内宿禰は孝元天皇(人皇第8代)の曽孫で、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五朝に仕えたといわれる。
仲哀天皇に従って熊襲を討ち、天皇が崩御になると、神功皇后をたすけて新羅をしたがえるなどの偉功(てがら)があった。
本社では第三殿に祀られている。その手植の楠の古株から新根が生え、根周りは60m余にも及ぶ大木となっている。
住吉神社々務所

境内の中でも一番のパワースポットと案内されていました。
まさかこんな古木に逢えるとは思っていなくて感動しました。
樹齢2000年の楠は風浪宮や宇美八幡宮にありましたが風格は同じ。
そして同じように根元から二つに分かれて洞が出来ていました。
ここは手つかずの神域なので植生も昔のままです。

楠の自生の北限は福岡市東区の立花山だという事なので、
ここは手植えされたものという事になります。
その手植えした人が本当に竹内宿禰だとしたら、これもまた感慨深いものがあります。
もう白髪のおじいちゃんにしないでね。
彼だって若々しい躍動的な時代があったんですから。

楠は船の木材になります。だから各地の神社に残されているんだと思います。
洞が出来た楠はそのまま船になったそうです。
福岡の多くの山が杉林になってしまっているので、
こうした太古からの自然の森に入ると本当に感激します。
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クスノキのそばに稲荷神社がありました。
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境内全体から見ると右側、丘のピークにあります。
何故かどの神社の稲荷も向かって右側にありました。まだ例外に出会っていません。
かならず右側で、一段高いか、丘のピークにあります。
この稲荷社の右の方は崖でした。
吹き上げて来る風を利用して鉄の加工をしていた所だと思いました。

ところで、弥生時代に船の木材をどうやって加工したのか?疑問がありました。
それであちこち資料館も廻ったりもしたのですが、
もう鉄器が入って来て随分経つんですね。

特に新羅(辰韓)は鉄の産地だった。その資源を求めて戦いが起こっている訳です。
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この机を見て下さい。
福岡埋蔵文化センターで復元されたレプリカで紀元200年頃の机です。
本物は九州国立博物館にあります。
板が1センチ近い厚さに加工されています。
脚だってカーブに加工されています。これが弥生時代です。
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これは下関市豊浦町川棚の中ノ浜遺跡で出た弥生時代の小壺。
(山口県埋蔵文化センター所蔵 遺跡展は終了です。)
アートの心も抜群。

蚕(かいこ)も豊浦宮(忌宮神社)に献上されたし。
けっこう文化度の高い暮らしだったんですね。
(つづく)

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住吉神社(1)長府一の宮・今なお荒御魂のおわす宮

ひもろぎ逍遥 より【転載】
2011-10-23 17:44
住吉神社(1)長府一の宮・今なお荒御魂のおわす宮

住吉神社(1)
下関市一の宮住吉1-11-1
長府一の宮 
今なお荒御魂のおわす宮


仲哀天皇殯斂地(ひんれんち)を後にして住吉神社に向かいました。
今回は古代の道の名残を残す山越えルートを選びました。
道は舗装はされているけど、細くてカーブだらけです。
ピークを越えて広い道と交差する所にようやく出たのですが、
信号のない斜め向こうに進むのは難しかったです。
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山越えした後に見たからか、この宮の広大さに驚きました。
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朱の色は旅人にとって安堵の色だと痛感します。
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そして希望の色でした。
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さらに高揚の色でした。
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見上げれば、ここもまた海の民のしるし。
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随神像はなんと鎌倉時代のもの。色も鮮やかです。
武士の活躍する時代に、このやわらかな表情が最高の美学だとすると、
鎌倉時代がいかに典雅な時代だったか、これまでの印象が覆ります。
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拝殿です。
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天文8年(1539)に毛利元就が寄進したものです。
その舞台は安芸の厳島神社の美しさに力強さを加えたものでした。
ここに立つと香椎宮を思い起こされずにはいられませんでした。
楼門から神殿までの距離感がよく似ていたのです。
それは歩いたものだけが分かる感覚でした。
そして、ここにはもちろん神功皇后が祀られていました。
ちょうど見えている奥の第四殿がその神殿です。
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神殿は五つの屋根を持ち、それぞれに神々が祀られていました。
第一殿 住吉大神(底・中・表筒男命)の荒御魂
第二殿 応神天皇(八幡大神)
第三殿 武内宿禰命(高良明神)
第四殿 神功皇后(息長帯比売神)
第五殿 建御名方命(諏訪明神)
この神々はこの『ひもろぎ逍遥』でずっと共にあった神々でした。
私はいったい何度、この神々の名を書き綴ったことでしょう。
感動したのは細い道を辿って来たからだけではありませんでした。
住吉神の荒御魂だけでなく、すべてが祀られていた。
そして今なお生き生きと躍動してこの国を守っていた。
(つづく)

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宇佐八幡宮成立 奈良時代 放生会 つつうらうら *宇佐神宮(宇佐八幡・宇佐八幡宮) usa shrine *【NET TV ニュース.報道】宇佐神宮 2015/10/10*11/11 *12/22

宇佐八幡宮成立 奈良時代 放生会 つつうらうら

2014/09/24 に公開
宇佐の八幡神は言葉を発する神
宇佐の八幡神は移動する神
神仏習合の神
全国に勧請される神(総本宮)
地方神から国家神になった神
インタビュー 森恵
曲中BGM 前田健治 ドビュッシー 「夢」
スマイル10月号 つつうらうら連載中

宇佐神宮(宇佐八幡・宇佐八幡宮) usa shrine

2013/01/04 に公開

【NET TV ニュース.報道】宇佐神宮 2015/10/10

2015/10/10 に公開

宇佐神宮乗っ取り事件【NET TV ニュース.報道】朝堂院大覚 宇佐神宮 2015/11/11

2015/11/11 に公開

宇佐八幡宮の内紛について【NET TV ニュース.報道】サイバーアンタッチャブル 2015/12/22

2015/12/22 に公開

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+住吉大社 摂津國一宮 大阪市住吉区

住吉大社(摂津国一ノ宮)

2012/10/20 に公開
住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大­社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は別表神社。
全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神­社とともに日本三大住吉の一社。また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名である。
第一本宮 底筒男命(そこつつのをのみこと)
第二本宮 中筒男命(なかつつのをのみこと)
第三本宮 表筒男命(うはつつのをのみこと)
第四本宮 息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) - 神功皇后(じんぐうこうごう)
平成24年9月12日撮影

まことのすけ御朱印帳 より【転載】
2013-1-23
住吉大社 摂津國一宮 大阪市住吉区

【鎮座地】
 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
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【祭神】
 底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后

【概略】
 全国に約2,300社ある住吉神社の総本社。下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。底筒男命、中筒男命、表筒男命を合わせて「住吉三神」と呼ばれる。
 大阪で一番人気のある神社と言われている。

 南海本線住吉大社駅から徒歩で行きました。
 御朱印は授与所にていただきました。
 オリジナル御朱印帳があったようですが気づきませんでした。今度参拝した際には購入したいと思います。
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住吉神社(3)住吉三神はオリオンの三ツ星

ひもろぎ逍遥 より【転載】
2010-11-01
住吉神社(3)住吉三神はオリオンの三ツ星

住吉神社(3)
住吉三神はオリオンの三ツ星

今日は住吉三神についてのお話です。
まずは、その三柱の神の名前。
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)

「筒」とは「星」の事です。
ですから、この三柱は「上中下の三つの星」という意味になります。
この三神が生れ出るシーンを読んでみましょう。(古事記)
********************** 
イザナギの命は橘の小戸の阿波岐が原でミソギながら、多くの神々を生んだあと、「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い。」と言って、初めて中の瀬に潜ってすすぎました。その時に生まれた神の名は、
   八十禍津日(やそまがつひ)の神。
   次に大禍津日(おおまがつひ)の神。
この二神は、そのけがらわしい国に行った時の穢れによって生まれた神です。つぎにその禍(まが)を直そうとして、生まれた神の名は
   神直毘(かむなおび)の神。
   大直毘(おおなおび)の神。
   次にイヅノメの神。
次に水の底にすすぐ時に生まれた神の名は、
   底津綿津見(そこつわたつみ)の神。
   次に底筒の男の命。
中にすすぐ時に生まれた神の名は、
   中津綿津見の神。
   次に中筒の男の命。
次に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、
   上(うは)津綿津見の神。
   次に上筒の男の命。
**********************
イザナギの命が一人で多くの神々を生むシーンです。
イザナギの命は死んだ妻を追って黄泉の国に行き、戻って来たあと、
このように海に入ってみそぎをしました。
三つの星の神はこの時に生まれています。

面白い事に、綿津見の神と交互に生まれて来ています。綿津見の神は海の神です。
ですから、底・中・上の星の神は海から次々に生まれて来た事が読み取れます。

多くの本にはこの三神が何か分からないと書いてありますが、
これは「オリオンの三つ星」を指しています。

オリオンの三ツ星
岩波書店の古事記の注に
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「筒」とは「星」で底中上の三筒男は、オリオン座の中央にあるカラスキ星で
航海の目標としたところから、航海をつかさどる神とも考えられる。
**********************
と書いてあります。カラスキとはオリオンの三ツ星の和名です。
私もこの説に賛成です。

オリオン座は真冬の寒さが一番厳しい時に、
南の空に悠然とその巨大な姿を見せてくれます
.住2
これがオリオン座です。中央の三つ星が「上中下の星の神」です。
このイラストでは横並びに近いから上中下には見えませんが、
昇ってくる時には、縦になって一つずつ出て来るんですよ。
.住1
その状態をイラストにしてみました。紺色の所は海だと想像して下さい。

冬の夜空を見ると午後7時には三つが縦になって昇って来ます。
だんだん横向きになって、午前5時明け方には、逆さまになって沈んで行きます。
時計と同じ方向に廻っています!
だから三ツ星の傾きの角度を覚えると時計の代わりになります。
それに方角も分かるので羅針盤にもなります。
夏には反対側に見えると漁師さんが教えてくれました。(志賀海神社(1))

ある日、ラジオドラマでちょうどこの三ツ星を捜すシーンが流れて来ました。
昔物語です。嵐の夜の海の航海のシーンでした。
「ああ。こんな夜に住吉様が見えたらなあ。雲がちょっと切れたらいいのになあ。
そうすれば、今どこにいるのか分かるのに。」
このドラマを聞いて、やはり昔は三ツ星を住吉様と呼んでいたのを知りました。
それをいつのまにか日本人は忘れてるんですね。
だから、いろんな本にいろんな解釈が書かれるようになりました。

住吉大社と三ツ星
この三ツ星の姿を大地に写し取ったのが、大阪の住吉大社です。
初めて参拝した時は神殿が四つもあって大変驚きました。

まさか、三ツ星の姿がそのまま、縦に並んでいるなんて。
住3
これが配置図です。
オリオンの三ツ星をかたどったものだというのがよくわかります。
底筒男命が上にあるので、オリオン座が昇って来る時の姿を表しています。

神功皇后と三ツ星
次に、神功皇后との関係を見てみましょう。
大阪の住吉大社では住吉三神の横に神功皇后が祀られています。
福岡の住吉神社でも、相殿に神功皇后と天照大御神が祀られています。

住吉三神と神功皇后はセットで祀られています。この理由も古事記を読むと明らかです。夫の仲哀天皇が神の教えを拒んだために突然亡くなった後の話です。
**********************
神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、国中の人々の犯した罪や穢れを払う大祓(おおはらえ)をしました。(略)この大祓を済ませると、再び建内の宿禰の大臣がサニワとなって、ご神託を求めました。
今度も、神が教え諭す様子は、全く先日の通りで、
「そもそも、この国は、皇后のお腹の中に宿る御子が治める国である。」
と諭されました。
そこで、建内の宿禰の大臣が言うには
「畏れ多いことです。我が大神さま、今お懸かかりになっているお方のお腹に宿る御子は男御子か女御子か、どちらでしょうか。」
「男御子ぞ。」
とお答えになりました。さらに詳しく尋ねました。
「今、このように教えられる大神のお名前を知りたいのですが。」
と求めると、すぐにお答えになりました。
「これは天照大神の御心ぞ。また、底筒男、中筒男、上筒男の三柱の住吉大神ぞ。今まことにその国を求めようと思うならば、天の神や国の神、また、山の神、川や海の神に、ことごとく御幣を奉り、住吉大神の御魂(みたま)を船の上に祀り、マキの木の灰をヒョウタンの器に入れ、また、箸と柏の葉で作った皿をたくさん作って、それを皆大海に散らして浮かべて、渡るがよい。」
と言われました。
 そこで、詳しく教えられた通りにして、軍勢を整えて、船を並べて、西の方の国に渡られると、海原の魚、大小を問わず、ことごとく御船を乗せて進みました。その上、追い風も吹いて、御船は波が寄せるのに任せて行きました。その御船を乗せた波は新羅の国に押し上がって、完全に国土の半分まで達しました。
**********************
神功皇后が神懸かりをした時に降りた神々は天照大御神と住吉三神でした。
この神の教えの通りにしたら、戦う事もなく新羅の国を帰順させる事が出来ました。
新羅王が降参したので、その王城の門にこの住吉三神の荒御魂を鎮めて来たように書かれています。
これは古事記の中の話なので、日本書紀ではまた少し違っています。

こうして住吉三神はオリオンの三ツ星という航海の守り神となり、
そして、戦争の勝利に導いた神となり、禊の中で生まれた事から禊の神となりました。

この話の背景を考えると、オリオンの三ツ星をシンボルとする海人族の協力で
戦ったのが見えて来ます。それが住吉族という海人族だと思います。

住吉三神(住之江の神)(現代語訳をしました。『古事記の神々』)
http://himeluna.exblog.jp/15348565/">http://himeluna.exblog.jp/15348565/
**********************
◆ブログ内で古代人のオリオン座を見て歩く
オリオン座は氏族によっていろんな象徴となっています。

志賀海神社(1)龍の都と呼ばれた海神の宮―住吉三神はオリオンの三つ星
志賀海神社(2)沖津宮と小戸 住吉三神が生まれた聖地
日若神社 (5)イスケヨリ姫との結婚の背景
          姫の名前には古代鉄の暗号が。
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住吉三神を祭る主な神社 (マイペディアより)
福岡市博多区住吉(筑前国一の宮) 三神の和魂をまつる。例祭10月13日
下関市一宮 (長門国一の宮)   三神の荒魂をまつる。例祭12月15日
大阪市住吉区住吉(摂津一の宮)  三神と神功皇后をまつる。例祭6月30日
壱岐市              三神の和魂をまつる。例祭11月9日。
**********************
さてさて、福岡に住吉神社があると知らなかったルナは大阪まで行って来ました。
何年も前の話です…。
そして、福岡にはさらに元宮があると知りました。これについては、またいつかレポートしますね住吉神社(3)

筑前住吉神社公式HP 

http://chikuzen-sumiyoshi.or.jp/index.html
地図 住吉神社 博多駅

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住吉神社(2)能楽殿ー天守物語ー日本建築の音響空間はすごい

ひもろぎ逍遥 より【転載】
2010-11-02
住吉神社(2)能楽殿ー天守物語ー日本建築の音響空間はすごい

住吉神社(2)
能楽殿ー天守物語
素晴らしい音響空間を体験しました


南門の近くに大きな建物があります。
その脇から路地を入っていくと、能楽殿です。
建物の間の軒下を通ると、レトロな空間。
昭和の初期にタイムスリップです!
靴を脱いで上がると昔の受付があり、使いこんだ木の暖かさに包まれます。
そして、階段を数段上って、目に飛び込んで来たのは能楽の舞台。
桟敷席は舞台をL字型に囲んだ畳の席です。
わあ、ホンモノだ!これこそ和の空間だ!
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舞台が始まる前に宮司さんがこの能楽殿の話をしてくれました。
これは昭和13年に、能楽を愛する博多市民の人たちの
援助によってできたそうです。
皇居の能楽殿を作った棟梁が建築したので、
それに近いものではないかという事でした。

驚いたのは、話す声が直接、聞こえてくるのはもちろんのこと、
舞台の床板や天井などの反響を交えて、
とても多層的な響きを持っていた事です。
こんな音聴いた事無い。
その音は私の体まで共鳴板に使っているように響いてきます。
耳で聴くというより、身体全体で聴くという感じ。
コンクリートで作った現代のホールとは全く異質な音なのです。

その秘密はこの建物が総ヒノキ造りであった事にもあるのですが、
この床の下の空間に、壺がいくつも置いてあるという事で謎が解けました。
素焼の壺が客席のいろんな方向に置かれていて、
スピーカーの役目をしているのだそうです。
そして、一つは演じる人そのものにも向いているとか。
そこに立つのを「思う壺に入る」というのだそうです。
みんな冗談だと思って笑ってしまったのですが、
「本当ですよ。」という事でした。
(壺の写真はホームページの「能楽殿」に掲載されています。)

音のすごさは、舞台が始まってから、さらに迫って来ます。
人の声がクリアに、艶やかに聞こえて来ます。
雨や雷の音の時にはそのリアリティーで、思わず天井を見上げてしまいました。
録音だとは分かっていても、屋根全体に雨が叩きつけるように聞こえてくるのです。
これは素晴らしかった。
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(説明をされる宮司さん)
そして、光の取り入れ方が未知の体験。
窓は天井近くの所だけにずらりと付いていました。
夕方6時から舞台が始まったのですが、明るい日光が自然に入って来て、
ほの暗い空間が心地よい。
そして日が暮れるとともに、刻々と舞台がその明るさを変えていきました。
自然光の変化は舞台の色彩も変えて行きます。
舞台の盛り上がりと共に、身の周りが暗くなっていくので、
自然と舞台に集中して行くのです。
目からも、耳からも、体験したことのない感覚を醸し出す空間。
これぞ、日本の建築の極み。
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(舞台正面)
「天守物語」を見ました。
この日鑑賞したのは、大徳寺昭輝氏の演出、主演の「天守物語」です。
泉鏡花の代表作です。
大徳寺昭輝氏はラジオで「天の夢」という古事記の神武天皇の物語を
放送しています。
その声の朗々とした美しさはなかなかのもの。
その大徳寺氏が自ら、劇団を率いて奉納をされるのを二日前に新聞で知って、
とにかく行ってみたら、残席わずかの中に滑り込めました。

大徳寺氏がもちろん姫の役をするのですが、
気品と愛らしさと毅然としたさまは、まさに天守閣にすむ異世界の姫神。
その声と演技の素晴らしさに、すっかり引き込まれました。

演劇はみなさん素人との事ですが、見ごたえがあって、面白かったです。
舞台が終わって、涙を流すお客さんもいました。

この能楽殿は広く市民に開放されていて、誰でも借りられるんですって!
詳しくはホームページを見て下さい。
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(神門。舞台が終わって、夜遅く参拝しました。)
御遷宮スケジュール
25年に一度、装いを新しくする住吉神社の御遷宮。
その遷宮と神幸は先日ありましたが、
それを祝う奉納行事が11月中続きます。(2010年)
********************:
11月6日(土)横綱奉納土俵入り(本殿)
   7日(日)歩射祭(9時)
        地球交響曲第7番「ガイアシンフォニー」上映会
   13日(土)えにしの唄会(琉球民謡・能楽囃子)
   15日(月)七五三子供祭(10時)
   16日(火)~18日(木)アントンクルーのワ―ニャ(翻訳創作劇)
   20日(土)「face to ace」ライブ
   23日(火)新穀感謝祭(10時)
         すみのえ海幸山幸・宝市(南参道)
   27日(土)琉球舞踊「二人舞への誘い」
(出かける方はHPなどで確認してください。)
********************:
土俵入りは白鵬ですね!
                          (つづく)
筑前住吉神社公式HP 
http://chikuzen-sumiyoshi.or.jp/index.html
地図 住吉神社 博多駅

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宗像三女神の秘密 1 宗像大社

吉岡学公式ブログ
2013.03.06
宗像三女神の秘密 1 宗像大社

2013年2月28日、日本全国に七千余り祀られている宗像神社、厳島神社、宗像三女神(むなかたさんじょしん)の総本社である福岡県の宗像大社で、弁天様の神力を解き明かす為に福岡県へ飛びました。
弁天様に関する神事は、神奈川県の江ノ島神事、滋賀県琵琶湖の竹生島神事、関西で行った鏡族の神事など、これまで様々な事実を公開してきましたが、福岡県の宗像大社の「宗像三女神」と、他の場所に祀られている「宗像三女神」の呼び名や姉妹の順
番が違うことをまず覚えておいて下さい。 ※宗像三女神についてはこちらを参考にして下さい。
2013年に「宗像三女神」の神力を解き明かす理由は、本来、女性が生まれ持っている神力を解き放つ目的と天スメラ神の神力を明確にすることが目的ですが、この神力の解明こそが、日本人の意識を次の段階へ導く大きな原動力になるのです。
今回の神事で降りたメッセージは、歴史学や民俗学では突き止められない日本民族の重要な神ルーツに関わる事実が多く出たからこそ、愛を持って日本国家を作り上げた天スメラ神の力を理解する作業だとご理解下さい。
福岡県(筑前国)で神事を行うのは初めてなので、最初に二つある一宮で神事を行う承認を頂きにあがりました。

1,住吉神社 (福岡県福岡市博多区住吉3丁目1−51)
祭神:底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)の三柱
ここは、大阪の住吉大社・下関の住吉神社とともに日本三大住吉のひとつで、創建は1800年以上前の神社です。末社には裏と表から二種類の稲荷社を拝める場所があり、石で積まれた穴の中には古い先人のわかってほしい思いが残っていました。
宗1--宗2
今回、参加した二名の巫女は、広島県の厳島神社、神奈川県の江ノ島、琵琶湖の竹生島など、日本中で活躍した鏡族の巫女神事に参加した思いをつなぐために福岡まで来てくれました。
宗3--宗4
宗5-宗6--宗7
本殿の神様は物静かに、「お越し下さいましてありがとうございます。どうぞ、皆様の神事を無事に見守ります」とだけお答え下さいました。
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2,筥崎宮・はこさきぐう(福岡市東区箱崎1-22-1)
祭神:応神天皇(八幡大神)、神功皇后(応神天皇の母君)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)
宗9--宗10
宗11
東末社、西末社、亀山上皇御神像に参拝後、拝殿に書かれた「敵国降伏」の文字の意味を知って感動しました。
「武力によって民衆を苦しめる戦いをするよりも、徳の力を持って相手を導き、相手が自らなびき降伏するような生き方考え方を示しなさい」という我が国の王道を示した亀山上皇の言葉です。
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これから行う神事のご報告をすると、私たちの神事を祝福するように神々が七色のオーブで祝福の意思を表して下さいました。
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3,宗像大社(福岡県宗像市田島2331)
宗15--宗16
宗像大社は女神ですので、二名の巫女が先頭で鳥居をくぐります。
宗17
本殿に入る前は、手水舎の向かいにある「祓舎」で必ず、禊祓いをおすすめします。
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辺津宮の本殿を取り囲む末社(108柱or127柱)の祀り方は、京都の元伊勢にとても似ています。
※京都 元伊勢 下宮 http://earthtscu.jugem.jp/?eid=1067
この場所が、ものすごい御神光によって守られていることを示す神々の御光をご覧下さい。※写真をクリックすると大きくなります。
宗19
宗20--宗21
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末社の右手奥にある「松尾神社」の神様からは、後ろの木の前で神主・氏子立ちが儀式をしていたことを教えてもらいました。
家紋入りの盃やお酒の瓶を割る意味は、契り・秘密の契約の意思を示す男儀式の風習ですので、言葉にしてはいけない儀式を今もしているのだと思います。
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このあと、本殿に祀られている市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)にお参りしました。
宗29--宗30
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本殿 辺津宮に祀られている市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)はとても静かに、「皆様の祈りを見守りいたします」とだけお言葉を下さいました。
つづいて、第二宮 中津宮に祀られている湍津姫神(たぎつひめのかみ)、第三宮 田心姫神(たごりひめのかみ)の場所にご挨拶に行きました。
宗32
白い霧のように見えるものは、全て神の神気です。
宗33--宗34
先に、第三宮に祀られている次女の田心姫神(たごりひめのかみ)にご挨拶すると、オーブが祝福の七色でしたが、言葉はあまりありませんでした。
宗35--宗36
宗37--宗38
長女の湍津姫神(たぎつひめのかみ)なら全てを知っていると思い、詳しく話しを聞こうとしましたが、いくら待っても不審な男性が居続けたので神言葉をおろす事はできませんでした。
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神事ではこういう場合の意味があるので「言葉にしてはいけない思いがある」と判断し、ご降臨の場所「高宮祭場」へ向かいました。
宗41--宗42
宗43
この場所のエネルギーは宗像三女神の神気を繋いだだけなので、それほど強い神気はありませんが、現在も女人禁制の沖の島から神気が繋がっていました。右手奥にある立ち入り禁止の林の中にも、神気があることをみつけました。
宗44
本殿に戻る時に目に飛び込んできたのは、社の上に切られている神の男女を示す形が「男の形」だったので驚きました。
※男神を祀る社(外削ぎ)
宗45
※女神を祀る社(内削ぎ)
宗46
◎本殿 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は、外削ぎの男神になっています。
宗47
この意味は、ご祭神である市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を男神が押さえつけている意味だと思います。
なぜ、そういう形にしなければいけなかったのかを巫女たちとサニワをしたあと、海から思いを繋いで聞くことになり、大島・沖の島が見える海岸で祈りましたが、ついに重要な言葉が降りました。
宗48
◎海岸にて神唄で降りた神言葉
神柱(かんばしら)に、たがえむしやの神むしろ やわらの玉に繋ぎし思い これ我ら民族の思いなり。
つくしよの姫たまわりますは、我が姫の事。イチキシマヒメとのたまう姫、これ我らの子孫となりにけり。
百済の地より参るる者、これ高らかに表上げたまえ。繋ぎて神結び、おわします神むしろ。
従いまして繋がりまして、納め守りし繋し事。これ我らのたまえし神繋ぎ。後ろの者達、よろしく頼むと我守りし大神。
唱えたまいて守りたまいて、繋ぎたまいまいる。共に働き事、これ神だの共にすべし事。
これ、はかなきは人の思いとなりにけり。
はかなきを持ちて・・・はかなきを持ちて、結びし神となりにけり。
はかなき神と、なりにけり。

※倭言葉で降りた言神葉
式根島に繋がりし神の思いは、母の思いとして繋がっておりまする。
その神の思いが繋がりし地だからこそ、その思いを繋いで下さる者がいること嬉しく思います。
我らが母、大元の母は式根島におりまする。よろしくお願い致します。

(吉岡の解説)
今、宇宙祝詞と同時に映像が出て来て、この場所に来た人たちは伊豆諸島の式根島にいる母とともに島を渡って来たと言っています。降ろした言葉にあるように、イチキシマヒメは、百済の地から来た民族が表神にして祀ったことは確かですし、対馬・壱岐島を渡って福岡県まで来た民族だという意味になります。
卑弥呼について、これまで公開したことがない情報をお話ししますが、最初の卑弥呼と呼ばれた女性は百済の田舎に産まれた女性ですが、とても霊能力が高く田舎で有名だったために、王様に呼ばれて日本に神を納める為にやってきた巫女集団の長であったこは、過去の神事でわかっています。
しかし、そのお母さんが伊豆諸島の式根島にいると言っていたので、伊豆諸島に渡った伝説の民族の神ルーツと、この福岡県に渡ったイチキシマヒメの民族の神ルーツは同じ母神だという意味になります。
2010年6月25日に行った伊豆諸島神事の神津島では、祀られている神の他に「三名の女の子」が居たことが巫女の言葉で降りていました。

※神津島神事 http://earthtscu.jugem.jp/?eid=666 静岡県三島市に祀られている父神 大山祇命(おおやまつみのみこと)の母は伊豆諸島にいるからこそ、とても古い時代に船でやってきた民族だとわかっていましたが、これまで別な民族だと思われていた二つの民族の神ルーツがこれで重なりました。
三女、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の意味は、これでだいぶ紐解けてきましたが、あとの二柱の意味も、次第に紐解けますのでお楽しみに!

※神ルーツや民族のルーツを紐解く場合、父神の視点から物事を考える場合と、母神の視点から物事を考える場合がありますが、今回は、謎にされてきた大切な女神のルーツを紐解く神事ですので、古い時代に志賀島(しかのしま)に祀られている阿曇族のルーツ「志賀海神社」へ向かいました。
※参考資料 阿曇氏・安曇氏 

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住吉神社(1)博多っ子に愛される筑前一の宮

ひもろぎ逍遥 より【転載】
2010-11-03
住吉神社(1)博多っ子に愛される筑前一の宮

住吉神社(1)
福岡市博多区住吉
博多っ子に愛される筑前国一の宮
住吉三神を祀る小島の宮だった


福岡の玄関博多駅から歩いて数分。
ビル街の中に住吉神社はあります。
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それでも一歩境内に踏み込むと、深い杜の中。別世界でした。
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心地よい木蔭道を歩くと、正面に神門が見え始めました。
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朱塗りの神門をくぐると、拝殿も朱塗りで、気分が高揚します。
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さあ、正面に来ました。まっすぐ向こうに神鏡が見えます。
中も朱塗りで、華やかなことこの上なしです。
*******************
御祭神は
底筒男命(そこつつおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神です。
相殿に天照大御神・神功皇后です。
*******************
三神は海から生まれた神々です。
今年は25年の式年遷宮を迎えました。
多くの人々の支えで神殿が一新されたばかりだったので、
ひときわ美しい神殿を紹介出来ました。
鮮やかな朱に包まれて心も晴れがましくなって来ます。

境内八社巡り
参拝を済ませてぐるりを廻ると、「境内八社巡り」がありました。
一つずつ参拝して行くと、いつのまにか境内を一周するようになっています。
これがその八社です。
*******************
船玉神社      猿田彦命  道開きの神
志賀神社      綿津見三神 海洋の神
人丸神社      柿本人麿  芸能・和歌の神
菅原神社      菅原道真  学業上達
稲荷神社      宇賀乃魂  五穀豊穣 商売繁盛
三日恵比須神社 事代主神  福の神 漁業安全 
少彦名       少彦名命(薬祖神)万病回復
天津神社      イザナギ大神 良縁・子孫繁栄
*******************
なるほど、この御祭神の顔ぶれを見ると、人の暮らしに必要な神さまが
まんべんなく揃っていて、この博多の人々が嬉しい時も苦しい時も
手を合わせて祈って来た歴史を感じさせられます。
一年間、このブログを書いたお蔭で、それぞれの神様がどんな神様なのか
大体分かるようになっていました。
これが去年なら、きっと「聞いたことはあるけど…。」と
お手上げだった事でしょう。

鎌倉時代のようす
これは神社の中の南門付近の看板です。
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鎌倉時代に奉納された絵馬の写しです。
船の地図らしく、南北が逆さまになっています。
住吉神社を黄色の丸で囲みました。
これを見ると、かつてここは島で、砂州でつながっていたのがわかります。
今ではこの緑の海は全部街並みになっています。
地名を見ているとラジオで交通渋滞を知らせる時、よく出てくる地名ばかりです。
この絵の横に解説が書かれていました。
*******************
博多古地図解説
この博多古図は当住吉神社蔵の絵馬で、鎌倉時代に描かれたものを江戸時代に筆写し、明治になって奉納されたものであります。
西公園は古から「荒津山」といい、現在の地名は荒津の変化したものと言われ、「草香枝」(くさかえ)は現在の大濠公園や草香枝の地名に当時の面影をとどめています。
また「袖の湊」は平清盛が築いたものと言われ、対中国貿易の重要な港で、今の呉服町付近にあたります。この時代では天神・中州はもちろん博多の大部分はまだ海中にあったことになります。
*******************
あまりの風景の違いに想像するのも難しいですね。
(ローカルな話ですみません。
地元の者からすると、へえ~と驚く事ばかりです。)

三日恵比須神社
さて、今回は八社の中の三日恵比須神社を紹介します。
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南門からすぐの所にあります。赤い橋が気になります。
由来書きがありました。
*******************
今は昔、昭和21年元旦当時の住田町(現美野島1丁目辺)在住の藤井吉太郎氏が、毎年の事として那珂川の河原より初日の出を拝まれていた時、簑島橋の橋杭に古めかしい木の小箱が寄り着いていたのを同氏がすくいあげた所、箱には恵比須の御神像が納められていました。
思わぬ拾い物に「これはもったいない事だ」と家に持ち帰り、お祀り申し上げた時からです。様々なもくろみが不思議に成就したり、宝くじに当選する等、大層なお金持ちとなったそうです。
このように御神徳はあまねく広まり、福岡市内はもとより田川・筑紫などの近郊から「福運」を求めて、お参りする方があとを断たなかったようです。
恵比須様を個人で独占してお祀りすると申し訳ないと、昭和24年1月3日、ここにお祀り申し上げる事になりました。現在も福運を求めて市内外より、多くの善男善女のお参りがございます。
皆様もどうぞご霊験にあやかって、良い御縁がありますようお祈り致します。
*******************
この話はなんと昭和の話でした。平安時代とかではないのです。
こんな、昔話に出て来そうなお話が昭和に起こったなんて。
しかも、その幸運を独占せずに他の人にも分かち合うこの心意気。
さすが、博多っ子です。
こんな神さまがあるなんて有り難いですね。
庶民の味方です!
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三日恵比寿神殿です。
みなさまの宝くじが当たりますように。
                  (つづく)
筑前住吉神社公式HP 
http://chikuzen-sumiyoshi.or.jp/index.html
地図 住吉神社 博多駅

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生きる力 ゲンマイ
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2016年1月1日 新年を迎え、日本に生まれた幸せをかみしめ、日本人で有る事の誇りを持ち、 生きる喜びを持ち続けたいと願いました。
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新鮮な野菜と果物・ゲンマイそしてPCの山暮らしです
2011・2012この凄まじい年を生きている。幻想の世界が終り2013より今現在考えの及ばない 世界に入ると云われている。*私達の力がどれ程強いか、自己主権を持った者であり自由であるそれが現実です。意識が自由になって初めてそれが外に現れると。本当の自分を思い出す時が来た(ジョージ・カヴァシラス)