Vol.405 光文書(ヒカリモンジョ)   白村江の敗戦と、1945年の敗戦

精神学協会 より[転載]
14・6・29精 
http://www.godbrain.com/P1

光文書(ヒカリモンジョ)  Vol.405
白村江の敗戦と、1945年の敗戦

西暦の663年、白村江の戦いにこのクニは敗れました。
西暦の1945年8月15日には、このクニが大東亜戦争と名づけた戦いに敗れたことを天皇が臣民に告知しました。そして、西暦712年に古事記がこの世に置かれ、西暦720年には、日本書紀が世に出ました。「最終知識」の完成が2000年とすると、この書は、敗戦から55年後に世に出され、戦後70年はないという、精神界のプログラムの人知の側の用意をしてきたことになります。
そして、今回、現代日本語で、あまてらすのこのクニの人々へのシラセが届きました。この先にはじまるのは、ここに記されたことなのです。
新しい日本のために、生まれた、たましいの持ち主なら、この重要性が理解できるはずです。
2014年8月29日 積哲夫 記

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2014.8.26(火)18:23~

もう 闇のものの 言い訳は 通用しません
あなた方が 働くことを 欲している
真(神)の 世の中 というものは
そういう 次元の 世界です

そのことを 知らない うちは
できないことが あります

たとえば 扉を 開くということも
その ひとつです

神に(神の) 残された
扉を 開いていくということは
そのような 世界に 入っていくと いうことを
表わしています

その世界でしか 開かない
能力というものが あります

神々の 世界で 働くということは
そのような 能力が 必要とされると
いうことです

人間では 発揮し得ない
能力です

たとえば
正しき 光を 宿した 言葉で
神々と コミュニケートすること です

そこでは 神と同等の能力 あるいは
それを 可能にするような 知力・分析力・体力
そのようなものも
必要とされます

その世界で 働くために
命(生・聖・精・正…)を 受けた方は
ごく少数ですが
確実に 存在をし
これまでに 幾多の 苦労を
積まれてきているはずです

そして やっと
かつて イエスが 述べた 福音が
現実となる レベルの 世界に
到達していると
いうことです

あまてらす の みことのり(御宣告) は
さらに
その 上の レベルのものであると
いうことすら
理解できる 人間が
ほとんどいないと いうことは
あなた方の 内なる神(神性) は
すでに 死を迎えている と
いうことです

ふみことのり(受信者注:あまてらすのみことのり) は
あまてらす という 神の
神性 を
人間が はじめて
理解したことによって
降されたものです

むすひ ということばの
意味が そこには あります

自らの 内なる 神性と いうものを
神の言葉によって 理解し
みがきあげて いくのが
本来 この星に
“ 宗教 ” という 名前で
伝えられてきた 人知と 神知の
接点の 証 で あったはずですが
人知が 正しく 伝えられなかったことに よって
神知が 失われました

それを とり戻す ということが
新しい 時代の
約束として
おかれています

イエスの 福音が 成就したときに
はじめて
最終知識 というものが
正しい 場所に 置かれて

あまつふとのりとごと を こえる
文語(文言、文現、分限、ぶんげん?) が
あらわれます

歴史とは そのように
順をおって 姿を あらわすもの で あり
最終知識 が 日本語で 記された ということは
日本語でしか 理解できない(到ることのできない)
知の領域があると いうことです

日本語の 特性として
ことばの 中に かず(数・数字・数式) が
比較的容易に 取り込まれていると
いうものが あります

あるいは 音韻の法則性 というもの が
理論というより むしろ
音律(音階)として 取り込まれていると
いうものが あります

そのような 観点から 言語というものは
考察されては いませんが
それは 理解のできる 一定の法則 として
あらわれているはずです

本来の 日本語というものは そのような
非常な 明晰さを
もつ(有する) もの であり

今の人間が 正しく その言葉を 使うことが できないと
いうことは
それ に 必要なだけの
頭脳 を
有してはいないと
いうことです

やまとことば が 神界語 である ということは
その中に <魔王> が 伝えた ことば が
残されているということは

そこに 何かの 答えが あり
それを 読み解けば
下の扉を 開くことが でき
「はじまりの前と おわりの後」
を つなぐ ひとつの みちすじが
くっきりと あきらかにされ

あまつつきが このちに 残した
最後の扉が
開くこと を
意味しています

音韻は 読み解けるものにしか
読み解くことが できないものです
それは 文字となったものを 解くより
はるかに 難しく
多方面にわたる 能力が
必要と されます

間もなく その 知の 扉が
開きます
それが 2000年前に 約束された
「その日、その時」 です

2014.8.26(火)~18:59
(あまてらす おおみかみ)

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2016年1月1日 新年を迎え、日本に生まれた幸せをかみしめ、日本人で有る事の誇りを持ち、 生きる喜びを持ち続けたいと願いました。
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2011・2012この凄まじい年を生きている。幻想の世界が終り2013より今現在考えの及ばない 世界に入ると云われている。*私達の力がどれ程強いか、自己主権を持った者であり自由であるそれが現実です。意識が自由になって初めてそれが外に現れると。本当の自分を思い出す時が来た(ジョージ・カヴァシラス)