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地域活性化

ねずさんの ひとりごと より【転載】
14・9・5ね
(08/03)
地域活性化
浅草酉の市
私の地元の埼玉県の春日部市もともと宿場町で、毎年夏になりますと駅前にあるお酉様で市が立ち、盛大なお祭りが行われていました。
いわゆる「酉の市(とりのいち)」です。
「市」のときには、商売繁盛の大熊手の屋台が立ちならび、熊手の購入者にはあたりにいるみなさんが、盛大に三三七拍子を打ってお祝いし、夜になると八幡様の神輿が出るという、たいそう賑やかなお祭りが行われていました。

ところが、もう30年以上前になろうかと思いますが、市の駅前開発によって、駅近くにあるお酉様(おとりさま)のお社(やしろ)が、取り壊され、付近の建物裏の小さなスペースに、隠れるようにして小さな祠(ほこら)だけが置かれるようになりました。

いまでも夏祭りはあり、それは「春日部市民祭り」と名前を変えて、お酉様とは何の関係もない、夜店の屋台が建ち並ぶお祭りとして残っています。
ただ不思議なのは、かつて大繁盛していた駅の東口のお酉様を中心に発展していた商店街は、いまではシャッター通りどころか、そこにかつて商店街があったということさえわからないほど、さびれて廃れてしまっていることです。
駅前なのに、です。
3つあった銀行も、いまでは1つです。

さびれた理由は、大店法の影響と言われました。
大型店に客足を取られたというのです。

ところがかつてあった駅前の「屋上に遊園地のある地元大型スーパー」は倒産してなくなり、そのあと商店街のいちばん奥に外資系の大型百貨店ができたのですが、これまた撤退してしまいました。
いま、その大型百貨店には、西武さんが入っていますが、これまた閑古鳥で、いつ撤退するかわからない状態といわれています。

人口が横ばいの地方都市に、大型流通店舗が出来れば、地元商店街は市場を奪われ、衰退します。
各世帯が月に消費する金額はそうそう変わらないのですから、たとえば市の市場規模が年間50億円だったとき、そこに年商30億円の大型店ができれば、商店街が持っていた売上げは、五分の二に減少してします。
全国的にも、こうした事情から駅前商店街がシャッター通りになってしまっているケースは多数存在し、それが社会問題と言われても久しいです。

ところが春日部で不思議なのは、その「大型店も倒産してしまった」ということなのです。
市の人口は横ばいです。ですから市の市場規模は変わりません。
にもかかわらず駅前商店街は、もとからそこに商店街などなかったのではないかと思えるほど消失し、駅前に3つあった大手銀行の支店も2つが潰れ、そして「市場を奪ったはずの大型店」も、倒産してしまったのです。

そして失われた商業市場がどこに消えたのかというと、駅前とは全然関係のない、もともと農村部だった郊外へとシフトしました。これはいったいどういうことなのでしょうか。
その理由を考えるとき、もちろん車社会になったからとか、駅の反対口(西口)側が発展したからとか、いろいろな説明がなされるのですが、どれもいまいち、説明がつきません。

ところが、ある日、あるお年寄りが、
「お酉様のお社(やしろ)を祖末にしたからだよ」とおっしゃられ、その場にいた全員が凍り付きました。
お酉様は、商売繁盛の神様です。
それを粗末にしたら、商売は衰退する。
絵に描いたような話です。

そういう眼に見えないものは、ただの因習だといって軽蔑される方もおいでになります。
因習かもしれません。
けれど、縄文、弥生の昔から、わたしたちの国では、神社やお社が、地域の人々の気持ちをつなぎとめ、心の共有をもたらす存在であったことは、古代や中世の記録に書かれた事実です。

春日部の東口界隈では、かつてはお酉様を中心にして、地元の人たちの結(ゆ)いが形成されていました。
地域の結いがあるから、商店の人たちは顔見知りの奥さんやお子様たちが元気に育つように、ちょっとでも良い野菜や魚を仕入れてきて、みんなに喜んでもらいたいと思って活き活きと働いていたし、地域の人たちも、そうやって朝早くから頑張ってくれている商店街のおやじさんや奥さんのために、「今日の夕餉には、あそこで魚でも買おうかしら」と、ごく自然な地域の連帯が生まれていたのです。

ですからもともと地域商店街の活力のもとというのは、そういう地域の結いにあり、商業主義とはまったく異なる、地域の人と人との絆やつながり、あるいは互いの思いやりの心の共有が、地域の活力の源泉になっていたし、それが、年に一度のビックイベントとなっていたのが、夏の酉の市のお祭りであったのではないかと思うのです。

ところが戦後は、そうした地域の絆やつながりが分断され、商業はただ売ればいい、儲かればいいという商業主義に傾斜しました。
そして地域や地元の結いを無視したそういう商業主義が、気がつけば商業そのものを衰退させてきたといえるのかもしれません。

全国いろいろなところで、地元商店街が壊滅して、シャッター通りになってしまっているというケースは多々あります。
けれど、ではそれが大型店が近所にできたからとばかり、果たして言えるのか。
そこをすこし深く考えてみなければならないのではないかと思うのです。

夏祭りのシーズンがやってまいりました。
全国いろいろなところで、
 大型店ができました。
 地元商店街がさびれました。
 その後大型店が撤退しました。
 けれど地元商店街はまったく復活も蘇生もしていない。
そんな事例が多々あるのではないかと思います。

そしてその発展しない場所の多くは、もしかすると地元の神社やお社や、もとからあった酉の市のような商業の神様を粗末にし、人々が感謝の心を忘れている。そんな傾向はないでしょうか。

逆に、そういう古くからいる神様を大切にしている商店街は、おばあちゃんの原宿と呼ばれる巣鴨の地蔵通り商店街、赤城神社をきれいに再建した神楽坂、明治神宮の表参道など、大繁盛を続けています。

神様のご利益云々は別としても、その神様の存在が、地域の人々の気持や心を繋ぎ止め、人々の地元への思いを共有してきたし、そこに古くからある互いの感謝の気持ちが、結果として地元に大規模店舗がたとえできたとしても、商店街がいまだに存続している大きな理由のひとつを構成しているとは考えられないでしょうか。
現に、壊滅してしまった古い商店街では、地元の神様が粗末にされているということはないでしょうか。

もうひとつ事例をあげます。
こんどは、悲しい事例ですが、上に述べました春日部の事例よりもショッキングです。

先日佐世保で痛ましい事件が起きましたが、その佐世保では、この10年の間に4件の痛ましい事件が起きました。そしてその4件の事件は、すべて直径1km以内の狭い範囲で起きています。
2004年6月1日:ネバダ事件、市立大久保小学6年女児が同級生をカッターで首を切り殺害。
2007年12月14日:スポーツクラブ:ルネサンス佐世保事件。銃を乱射し2人が死亡、6人が重軽傷。
2011年6月5日:佐世保同仁会病院理事長が養母を殺害
2014年7月26日:高1女子児童同級生殺害事件
の4つです。
そしてこの4件の事件のあった現場を線で結ぶと、その中心に亀山八幡神社があります。

佐世保には「おくんち」と言う祭りがあました。
その氏神様が亀山八幡神社です。
ところが近年、「地元を盛り上げる」ことを理由に市が中心となって「佐世保よさこい祭り」なるものを始めて、宗教色があるからと、亀山八幡様はないがしろにされているのです。
つまり、もともとは神社のお祭りであったものが、市民祭りと称して、別なものにすり替えられているのです。

「だからその祟りでは?」
最近、地元では、そういう話がささやかれるようになってきているそうです。
非科学的だと一笑に付してしまわれる方もおいでになるかもしれませんが、ではどうしてこのような狭い地域で、悲惨な事件が集中して起きたのかは、不思議なことです。

地域活性化とか、地元の元気を取り戻そうとか、標語は全国にあふれています。
けれど、肝心の、もともとの「人々の気持ちや心を繋ぎとめ、地域への思いや感謝をもたらす存在は、ないがしろにされたままです。
そして、地域によっては、悲惨な事件まで起こっているわけです。

地域の活性化のために、その地域のつながりや絆の源泉となっていた古くからの伝統的価値を、もういちど見直してみること。
もしかすると、それこそが本当の意味での地域活性化をもたらす、最大の鍵といえるのかもしれないと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

Tag:ねずさんの ひとりごと   comment:0 

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2011・2012この凄まじい年を生きている。幻想の世界が終り2013より今現在考えの及ばない 世界に入ると云われている。*私達の力がどれ程強いか、自己主権を持った者であり自由であるそれが現実です。意識が自由になって初めてそれが外に現れると。本当の自分を思い出す時が来た(ジョージ・カヴァシラス)