Vol.555 妬みの噴出 光文書(ヒカリモンジョ)

精神学協会 より[転載]
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光文書
(ヒカリモンジョ)
Vol.555

妬みの噴出

この二千十七年の六月に、日本における悪魔的なエネルギーの噴出が、一気に進み、私の周辺においても、妬みによって、他者に邪気を投入するアンチ・キリストの手先となるような人間の行動が増加しています。
戦後日本の最終段階が、これまで普通の人間と思われていた層の無意識下で進行し、例の自分は悪くない、といって他者を攻撃する波動の影響下で、それらのたましいの行動原理が、妬むものであることを示す事象が増加しています。その象徴ともいえるものが、現在の政治状況と、それを扱う、マスメディアの論調といえるのかもしれません。

戦後七十年はないというのが、私が伝えてきた精神界の情報ですが、二千十六年に、ポスト戦後の一年目がはじまったとすると、このポスト戦後の二年目に到って、敗戦によってこのクニが受け入れた西欧近代の基本的価値観とされたものの背後に隠された、悪魔の洗礼の正体が出はじめたと判断することができます。
西欧文明というものは、結局のところ、階級社会なのであり、そこでは、持たざる者が、持つ者を妬み続けるという邪悪な想念の拡大再生産が続けられています。

私が知らされているところですが、ひと握りの支配層にとっては、この妬まれるというエネルギーの集中が、その支配権の強化に役立っているというのが、ウシハク世界のルールです。
この妬みの対象に、いま、このクニでは天皇という存在までがさせられる危機にあります。女系天皇の論議の背後にあるのは、この妬みの思いにほかなりません。どうして、こんな悪性の思いの波動が満ちるクニになってしまったのかを、考えれば、すぐにわかることがあります。それが、敗戦後にはじまったGHQ主導の教育です。そのバックボーンにあったマルクス主義史観というものは、人間の妬みを正当化し、増幅するものにほかならないという点に、そろそろ、目覚めた日本人は気付く必要があります。

私がくり返しお伝えしているように、神や神々のわけみたまを与えられた人間のたましいには、自分だけがよければいいという、人生の目標設定は受け入れ難いものなのです。戦前の教育がよいとはいいませんが、すくなくとも、私は公に準じるものでした。それを知れば、たとえば、いまから七十二年前の六月二十三日の牛島満司令官の自決を持って、組織的戦闘が終了した沖縄において、八月十五日まで多くの将兵は、降伏することもなく戦っていたという事実を忘れた歴史の教育が、いまの沖縄の現状をもたらしているということもわかります。

当時の沖縄の青少年は、大日本帝国を誇りに思い、軍と共に戦う生き方を選んだのです。そして、生き残った者がではなく、妬む者に洗脳された者たちが、その過去に強制された不幸という物語を書き込んだというのがいまマスメディアが伝える歴史です。
こうして、植え込まれたある種の妬みの感情のエネルギーがもたらす社会のあり方を、いまの半島にみることができれば、このクニが直面している危機の大きさがわかるはずです。
このクニの首相官邸に、正体不明の半島出身者たちの出入りを許し、多くの機密情報の流出をもたらしたのが、あの三.一一の大震災の当時、政権を担当していた政党であったということを忘れたかのような報道をくり返すマスメディアの関係者の多くもまた、そうしてつくられた妬みの支配力のもとで無意識に活動しているというのが、精神界の見方といっておきます。

朝鮮半島を併合した結果、朝鮮人とそれまで呼ばれていた人間は、日本人として、半島において警察官として恨みをかったほか、旧満州国において警察に採用され、その暴力性は、当時から問題視されていました。その彼らを、高麗棒子と呼んだのは、満州の中国人たちでしたが、そうした極東アジアのほんとうの歴史に蓋をしたまま、ポスト戦後のこのクニのスタートはありません。

聖徳太子の十七条憲法が、なぜ、あの時代のこのクニで用意されたのかを理解することができれば、ポスト戦後の目標が、ほんとうの日本文明の発信にあるとわかるはずです。

二千十七年六月二十九日 積哲夫 記

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2016年1月1日 新年を迎え、日本に生まれた幸せをかみしめ、日本人で有る事の誇りを持ち、 生きる喜びを持ち続けたいと願いました。
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2011・2012この凄まじい年を生きている。幻想の世界が終り2013より今現在考えの及ばない 世界に入ると云われている。*私達の力がどれ程強いか、自己主権を持った者であり自由であるそれが現実です。意識が自由になって初めてそれが外に現れると。本当の自分を思い出す時が来た(ジョージ・カヴァシラス)